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ヒーリング (回復?) って?

ヒーリング (回復?) って?_d0065558_1334619.jpgインタネットサイト英辞郎で Healing を検索したら、

healing  【名】 治療{ちりょう}、回復{かいふく}、治癒{ちゆ}、癒やし

と出てきました。

ここ数年日本では 「ヒーリング」 または 「癒し」ブームで、これに関連した香り、音楽、生活用品、その他アイデアグッズのマーケットが盛況のようですが、実際 ヒーリングってなんなんだろう? 気持ちよくなること? 疲れが取れること? それだったら、 リラックス とどう違うの?と思ってしまう。

「ヒーリングミュージック」 と名づけられたCDは 巷にたくさん出回っているし、実際 音楽療法士です、と自己紹介したら、「何か気持ちいい音楽を演奏してくれる人」に思われることが少ないくない。

私の音楽療法士としての役目は、何かを与えるのではなく、音楽を色んな使い方をして、その人の持っているエネルギー、パワーを最大限発揮することなのだけど。


心と肉体と魂
例えば、死が遠くない 肉体的な病にかかっている人。癌、エイズ、その他色々。
その人にとって、回復・ヒーリングってどういうものなんだろう? 

延命治療をして 少し死の瞬間が遠ざかること? そこには、本人や家族の一瞬の喜びがあるだろう。でも、それは、魂の声を無視していることにならないだろうか?

ましてや、多くの場合、延命治療は肉体的、心理的にとても過酷なものである。

人はいつしか死ななければならず、その”時”は、永遠に遅らせることはできないのだ。

もし、本人が「死」を忌み嫌い、避けつづけているのだったら、本質的には何も変わっていない。1次的な病状の回復とは裏腹に、あ肉体の死は間違いなく近づいてきて、魂と心を刻々と追い詰めているのだから。

私達の魂はしっている、いつその"肉体”から離れなければならないかを。


あるお医者さんがおっしゃったこと : 病で苦しんでいる人を助けたくて医者になったけど、医療だけでは患者さんの苦しみを救ってあげることはできないんだ、ということに医者になって気づきました。

私は ヒーリング というのは心と肉体と魂のバランスが取れたときのことを言うのだと思っています。体が健康でも心や魂が病んでいる人は一杯いる。肉体的な痛みに苦しんでいても、心や魂が浄化されていて、その痛みといい関係を持っている人もいる。

ヒーリングミュージックでリラックスしても、それが苦しんでいる自分からの逃避ならば、根本的な解決にはなっていない。

薬で鬱などの症状や、体の痛みが解消されても、”こころ”を無視しつづけていたら、本当のヒーリングは得られない。


ある癌患者さんが言った言葉: 病が私の人間としてのヒーリングを可能にしてくれました。

この人は、いつも健康で、仕事も成功していたのだけれど、病にかかり、自分一人では何も出来ない状態になってしまい、ものすごい怒りや悲しみを爆発させていました。でも、音楽療法セッションを通して、病によってたくさんのものを失い怒っている自分をなぐさめ、少し落ち着いて自分の人生を振り返り向かい合ったとき、あんなに多くの物を失ったにもかかわらず、素晴らしい家族や、かけがえのない人生経験など、自分がまだ持っている失なわれることのない物に気づいたのでした。

彼は、病になるまで、社会的な成功以外に、自分にとって何が本当に大切なのか気づかなかったのです。

私は音楽療法士として、対峙したくない感情や自分の側面と向かい合うこと、心、体、魂のバランスを見出す過程が、ヒーリングと言えるのではないかと思っています。
# by totoatsuko | 2005-07-06 04:31 | 日々感じたこと | Comments(0)

セッション例

1.Dream and Music :GIM セッション
2.ピアノを使った子供とのセッション
3.遷延性意識障害の少女とのセッション
4.75歳の女性とその家族とのセッション:出会いから亡くなるまでの1月半

ホームページ


1.Dream and Music:GIM セッション

Guided Imagery and Music の投稿をご覧ください。




2.ピアノを使った子供とのセッション

セッション例_d0065558_1365592.jpgベビーシッターに預けられないので、お母さんが3歳の男の子と6歳の女の子を一緒に連れてきて、1時間のセッションのうち、40分はお姉さん20分は弟のピアノのレッスンをしていました。

待っているほうは静かにしていなくてはいけません、どんなにピアノに触りたい衝動に駆られても!これは子供にとってとてもつらいことですが、よい学びの機会でもあります。

ある日は、お姉さんが”お祭り”という曲を弾いていたので、お祭りの絵を待っている間に書いてもらうことにしました。そうすると彼は、日本でのお祭りやアメリカであったフェスティバルの絵をわき目もふらずに描き始め、お姉さんのレッスンが終わったときは、みんなで彼の絵について話をし、彼は自分の絵について、自分の感動について人に語る機会がもてました。

一方お姉さんのほうは、私のところに来る前はとてもテクニックに厳しい先生に習っていたらしく、どの曲を弾いても表情のない彼女らしさが出ていない弾き方をしていました。こうしてはいけない、ああするべき、という先生のアドバイスが彼女の可能性を制限しているように思えました。

でも、作曲家はいろんな感情をもって作曲したのですから、それを自分自身で理解して、いろんな音色で奏でるほうが、指が早く動くことよりも、もっと大切だとおもうし、そのほうが弾いていて楽しいでしょう?

少し私のスタイルに慣れてきて、すっかり私のことを信頼してくれるようになったころ、即興演奏(楽譜なしで、いきなりピアノで何でもいいから弾く)をしてみようよ!と持ちかけました。彼女がその提案を受け入れるまで何度かのセッションが必要でした。これはとても理解できることで、今まで楽譜をそのまま弾いていれば間違いはなかったのに、今度は楽譜も何もない自分だけが”音楽”を作らなくてはならない、というのは不安な気持ちになるのも当然です。でも、後日彼女は私や弟との即興演奏をとても楽しむようになり、歌も一緒に作りました。

クリスマスコンサートでは、一緒にプログラムを考え、インビテーションカードを作り、当日はビデオで録画し、演奏者の演奏はCDに焼きました。大人から子供まで集まったこのコンサートは、本人たちにとってとても心に残る瞬間だったでしょう。生徒たちがビデオやCDのコピーを日本の家族に送って感動された、と誇らしげに話してくれているのを聞いて、私もとてもうれしく思いました。



3.遷延性意識障害の少女とのセッション

 生まれてから15年間遷延性意識障害の女の子A.は、妊娠6ヶ月目に未熟児として生まれ、脳髄膜炎と診断されます。気管に問題があり、喉にあけられた穴にチューブを入れ酸素が送り込まれているます。目は閉じることが出来ず、血管から血がにじみ出ているので、ガーゼで覆われています。身長は約1メートルあるが、手足の筋肉は使用していないためほとんど発達していません。大きい音に条件反射することも無ありません。栄養は点滴からのみです。

 セッションは週2回、一回約20分。私は ベッドサイドに立ち、Aがその日、その瞬間発しているエネルギーや呼吸の仕方を、注意深く観察しながら、話しかけました。そして、彼女の体が発するエネルギーや呼吸に合わせて、ギターを弾きながら、Aの名前を取り入れたセッションの始まりの歌を歌います。セッションの中間部分は、彼女の呼吸の変化、微妙な体の動きを音楽や歌詞に取り入れながら、即興で歌を作っていきます。セッションの終わりは、次のセッションがあることを知らせる、いつもの終わりの歌を歌います。


 初めてのセッションでは、私が終わりの歌を歌い終わった瞬間、ため息をしました。次回から私が歌の途中で息継ぎをするタイミングで、深いて通常より長い息をするのが観察されました。この時点で、彼女のため息は偶然起こっているのではなく、私と音楽との関係の中で生じている事だと感じました。
 セッションを始めて約1ヵ月後のある日、歌の途中で、顔を真っ赤にしながらゆっくりと90度くらいまで起き上がり、また、ゆっくりと元の仰向けの状態に戻りました。その次のセッションでは2回、20分のセッションの間に起き上がりました。残念ながら、私 の都合で、それが最後のセッションでした。

Aにとって私の創る音楽は、生まれて初めて自分自身と呼応する対象だったと考えられます。音楽は、多くの医療関係者や家族と異なり、Aに反応する事を要求せず、彼女のありのままの状態を受け入れ、それを「音」「歌」という形に反映しました。彼女の発するエネルギーが変われば、音楽のテンポや音量も敏感に変わります。これほどまでに彼女の微妙な変化に逐一気付き、それを意味ある形に転換する音楽と私 は、彼女をそれに積極的に関わりたいと思わせたのではないでしょうか。理論的には、彼女の病状から自力で起き上がったり、感情を持つことは、全くありえないことです。しかし、私と音楽を通じたユニークな関係は、15年間誰も踏み入れることがなかった何かに触れ、彼女を突き動かしたのだと信じています。

このような奇跡的なことが起きたからといって、遷延性意識障害から回復するわけではありません。しかし、一見無反応でも、よく注意して関われば、そこには人間の証が確かにあり、人間としての関係を築く事が可能であることが、このケースでは証明されました。遷延性意識障害や、昏睡状態の人と関わる時、多くの場合、話しかけたり体に触れたりして、その人が体を動かしたり、発声するのを期待します。しかし、それはあくまで私たちのやり方でコミュニケーションをとろうとしているに過ぎません。彼女の反応を期待せず、ただ彼女に寄り添い、受け入れ、その空間と時間を共有する事により、「彼女の」意思表示の仕方、生き方、が理解出来、「私達の」ではなく、「彼女の」やり方でコミュニケーションを図る事が可能になります。この時、音楽は、言葉を必要としない、患者のありのままを受け入れ、また呼応することの出来る方法として、とても有効であることが、このケースから言えるでしょう。



4.75歳の女性とその家族とのセッション~出会いから亡くなるまでの1月半

クライアントは75歳 の女性. 週2-3回 約30分のギター、歌、ベルを使ったセッション。私が行く時は、いつも、孫が付き添いでいて、最初2回のセッションは、孫N(彼女)も参加しました。クライアントは ゆっくり進行していく病気で、今はいつも椅子に座っています。自分で体は動かせんし喋れませんが、ベルを音楽に合わせてささやかながら演奏し、とても積極的に音楽に関わっていました。彼女の名前を歌に入れ込んで歌う時は、歌おうと口と舌を必死に動かしていました。

セッションの目標は、クライアントが表現の自由を音楽を通して経験する事 (Give her a voice through music)、 Grief Process (病気のせいで失った自分の能力、生活、人間関係や、旦那を失った悲しみを慰める )でした。

最初の2回のセッションで、Nはいつもクライアントの代弁をします。”おうちに帰りたいんだよねー” ”音楽ってすごくいい,って言ってる”。 Nの歌の選択から、Nは意識していないけれど、この状況を相当ストレスフルだと感じていて、少し休む事が必要だと思いました。とても献身的で、それを進んでやっているけれど、自分が意識している以上に疲れてる。おばの娘 (Nの従姉)が脳の癌で入院しているので、おばの話し相手役にもなっている。

お互いのニーズに違いがあることが明らかになってきたので、3回目のセッションからは、クライアントと二人にしてもらう事にしました。Nはセッション中、一人の時間を持ってもらうことに。これによって、私はクライアントのニーズにフォーカスしてセッションを進めていく事が可能になりました。


クライアントは少しパーキンソン病の症状もある、神経系の病気のせいで、喋れないけれど、Nという代弁者がいなくなった事で、この後のセッションでは一生懸命口、下、頬を動かして話そうとする行為が増えました。音にはなかなかならなくて、私が唯一聞いた音は”あー” という短い音。 ただ、口の動きを見ていると、明らかに”ありがとう" と言おうとしているのが分かったりしました。

ある日いつもの様にクライアントの部屋を覗くと、何故か沢山(10人以上)人が部屋にいる。Nが私を見つけて部屋の奥から出てきて涙ぐんで言う。「おばあちゃんが危篤なの。だから、家族が集まっているの。」

私は、”じゃぁ、今日はみんなで歌を選びあって、それぞれが大事だと思っている事を、おばあちゃんと共有しませんか?”と提案する。皆に自己紹介をして、セッションの趣旨を説明する。歌う人もいれば、体をゆすっているだけの人も、クライアントの手を握っている人も、ビデオを撮り始めたり、涙している人も。クライアントも無反応だったのが、指が動いたり、表情が動いたり。クライアントのエネルギーにあわせた音楽のテンポやボリュームの選択は、クライアントの存在を中心とした空間のエネルギーを作り出し、家族はそれを生々しく肌で感じた事でしょう。久々に何か心の深い所に響いた、セッションでした。

翌日、もう彼女は亡くなっているのか、と思うと残念な気持ちでもありましたが、ある意味スピリチュアルな繋がりも感じてました。週2,3回しか行かないのに、その日が長い人生が終わる瞬間だった彼女と、彼女の大事な人たちと共に作ることが出来た事に対して、何か感慨深い気持ちがしました。
# by totoatsuko | 2005-06-11 09:18 | 音楽療法セッション例 | Comments(0)

死と向かい合う


死と向かい合う_d0065558_1682075.jpg
I admit that my internship setting, Memorial Sloan-Kettering Cancer Center in NY, is not an easy place for everybody to be. This place is where I feel like I am a witness to the blooming and the fading of the world. It is a sad place, and yet a place that is scented with a kind of peace and joy. In my life now I insist on the right to melancholy. It is the small treasure that lies buried under the frozen fields of morning. Anyone who has endured this winter landscape, anyone who by some miracle has survived the bone breaking blasts of the winter winds of the soul, deserves to celebrate the thaw which uncovers this treasure.

Research conducted by Russell E Hilliard (2003) shows that music therapy with cancer patients in hospice and palliative care improves patients’ quality of life significantly but does not extend the length of life. These results support the sense that I had when working with cancer patients. My work is neither to strengthen their immune systems nor to prolong their life. I care more about their relationship to their life, illness and death.


I believe that music therapy can facilitate the change of the color of the dying period so that it is not just dreary, depressing, or the dragging of time, but wherever possible, it becomes a time for growth. I hope the person warmly accepts or at least comes to know whom he is before death. Music can lead to profound expression – a summarizing of one’s life. Music fulfills the patients’ desire to collect their experiences and their wisdom in concrete form, which could make a highly individual dying process happen.


I also work toward a death that will leave the family with as little scarring as possible. The music offers families a way to create special memories and conversations during the dying process and a way to remember and grieve during bereavement. Families in the midst of suffering find music therapy as a relief, an activity to do together. It creates an emotionally natural situation, and family members are gratified. Music can initiate new conversations, and allows participants to assist one another in loving ways.
# by totoatsuko | 2005-06-11 08:56 | 日々感じたこと

楽しいピアノレッスンだってあるよ!

楽しいピアノレッスンだってあるよ!_d0065558_1314755.jpgピアノの先生が厳しかったり、練習が嫌だったりして、ピアノを弾くことをあきらめてしまった, という人に出会うたびに残念なきもちになります。私も練習が大嫌いな子供の一人でしたが。。。音楽療法を勉強するまで、音楽と自分の関係がとても狭かったように思います。ピアノを弾く、音楽をする、というのはもっともっと楽しいものでもあり得るんですよ!
私のところにピアノを習いに来る人の目的はさまざまです。ピアニストになりたい!という人から両手で一曲好きな曲が弾けるようになりたいという人もいますし、ただ音楽に親しみを持たせたい、と乳児を連れたご両親がいらっしゃることもあります。
とても限定された空間と時間の中でいらっしゃる方と心の繋がりと会話をとても大事にしながら、ピアノのレッスンをやっています。
ボストン・ニューヨークにいる頃は、季節の折に企画するサロンコンサートを企画し、ちょっとお洒落をして、ご家族、ご友人を招きました。これは、日ごろの練習の励みにもなるし、その成果をみんなに知ってもらうとってもよい機会と思い出になりました。

興味のある方、こんなレッスンが希望なんだけど、という方はお気軽にご相談ください。
現在、東京都 代々木上原で行なっています。


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# by totoatsuko | 2005-06-04 09:31 | ピアノレッスン | Comments(1)

聴覚障害のある子供と音楽療法 - 日本の聴覚障害を持つ子供のために何が出来るか

全国の聾学校の在学者は2001年現在、ピーク時の半数以下の約一万千人になりました。少子化の影響に加えて補聴器の発達により、全聾、難聴の子供でも普通小、中学校に進学できるようになったためです。 厚生省の掲げる、障害者が社会にとけこんで暮らす“ノーマライゼーション”の実現が進んでいる現われといえるでしょう。

1994年に、新しいタイプの補聴器「人工内耳」(じんこうないじ)が健康保険に組み込まれました。内耳に微小の電極を挿入し音を電気信号に変換、聴神経に直接電気刺激を伝える不可逆的な手術を乳児期に行い、特別な訓練をする事により、従来の補聴器では聴力を取り戻しえない先天性聾の子供が、音を聞きとり、会話ができるようになります。

もっとも、2001年12月現在、全国にいる約二千人の人工内耳装用者のうち、乳幼児期からの装用者は数えるほどです。また、全聾で生まれた子供が聴覚を取り戻し言葉を話せるようになるためには、専門家による特別な訓練、および子供と家族の心理的サポート体制が不可欠であり、残念ながらそれが整備されている保育園は現在ほとんどないのが現状なのです。

これに対し、私が音楽療法のインターン生として働いたニューヨーク州ブルックリンの先天性聾専門の幼稚園では、95%の児童が人工内耳を装用しており、一クラス約10名の子供に対して2人の学級担当の他、作業療法士、臨床心理士、スピーチセラピストそして音楽療法士などの専門家が協力して、多方面から子供達とその家族をサポートする体制が敷かれていました。

全聾の子供は、親と言葉でコミュニケーションがとれないがために、子供の健全な成長に不可欠な親子の相互理解に欠きます。また、音が聞こえないがゆえに、周りで起こっている状況を十分把握できず、常に精神的に不安な状態にあります。その親は、子供に十分愛情を伝えられない事へのフラストレーションと、普通聴覚を持つ他の兄弟との関係に悩みを抱えている。この様な家族環境は、子供の言葉の発達の速さにも影響します。この点において、様々な専門家たちによる家族のサポート体制は非常に重要な意味合いを持つのです。

そのなかで、私が専門とする音楽療法のユニークなのは、全聾の子供達が劣等感を感じる事のなく音の存在に気づき、言葉を学び、他者と意思疎通できるようになる環境を提供できることです。音のない世界に生まれてきた子供達が、音のある世界との関係に自信を持ち、言葉や音を使って自己表現する事を確実に手助けしていくことができます。

2002年の新学習指導要項では、障害児学校は父母への教育相談を行うなど、地域障害児センター的なものと位置付けられているが、障害児と家族の様々なニーズに専門家を使って応える体制はまだ十分に整っていない。しかし、現在約17000名の作業療法士、8338名の臨床心理士、5587名言語聴覚士、338名の音楽療法士を抱える我が国においては、アメリカのような層の厚いホリスティックな教育カリキュラムを組む下地はあると私は考えています。

障害児の社会参加と自立への道を開いていくために、専門家の一人として、他の分野の専門家と手を組み、子供達のより健やかな成長に必要な環境を作り出していきたい、と考えています。


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音楽とアートを使う 心理療法・カウンセリング Guided Imagery and Music (GIM) session
についてはコチラ   
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# by totoatsuko | 2005-06-04 09:29 | 日々感じたこと | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
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