
音楽心理療法、GIM、では音楽を聴きながらイメージ体験をするのですが、
そのイメージは今の自分の何を表しているんだろう、と興味を持つことで、自分自身についての深い発見と変容のプロセスが進みます。
GIMセッションでのイメージではなく、夢、なのですが、その夢と現実がどうリンクし、どうその人の今直面してることへの気持ちや態度が変化したかを紹介します
夢で
Aさんはクラッシック音楽コンサートに行きました。”楽しみにしていたコンサート。” 演奏が始まってすぐ、音楽がすこし静かになったときに、キーーーンというマイクの電波が悪い時にきこえるような音が微かに、しかし確実に、ずっと聞こえているのに気づきました。一旦気づいたら、音楽のボリュームが大きくなっても聞こえ続けます。Aさんはまわりを見渡しました。他の人は聞こえていないんだろうか?他の人は、真剣に音楽を聴いています。Aさんは自分の耳がおかしいのか?自分の耳鳴りか?と自分を疑いもしましたが、やはりキーン音は聞こえ続けます。楽器の入れ替えで一旦舞台が暗くなったとき、たまらず客席の階段をかけあがりドア前に座っているスタッフに、”このキーンという音、なんとかできませんか?” と聞くと ”私は専門家じゃないので、わからないです、聞こえないし。” という返答。更に言い続けたら、こちらへ、と案内され上司らしき人に会わされたので問題を訴えたら”問題は把握しています。駆け回って直しているとこです。” と言うので、Aさんは客席に戻ったのですが、キーン音は続いています。音楽がまた始まりましたが、変化なし。だんだん辛くなって、音楽の途中で席をたつことも考えましたが、他のお客さんの邪魔をしたくなかったので、ただただ耳をふさいで、終わったらアンコールは見ずに、近場のいけてるバーで一杯飲もう、それまで我慢してしのごう、と自分にいいきかせました。
演奏が終わり、一目散にホールを出て、走ってバーに行ったのに、ラストオーダー過ぎてるので入店できません、中にすでにお友達がいるなが別ですが、言われます。5分すぎてるだけだから、一杯飲むだけですぐ出るからダメですか?と言ってもダメ。しょぼしょぼ家路に向かった、家で飲めばいいか、と思いながら。
その時現実の世界では、仕事で、、、
チームワークが上手くいっていなくてどうやったらうまくいくか悩んでいました。特に一人の上司Bと同僚Cとの関係を。
このプロジェクトに参加した時、Aさんは上司Bとは今回初めて一緒に仕事をするのですが経験豊富だしその道をずっと歩いてきた人なので尊敬していました。Cさんの事は、自分と同じくらいの年数のキャリアがあるらしい、という意外よく知りませんでした。一緒に仕事をしていく中で、Aさんはちょくちょく、実はCさんは取り組んでいることに十分な知識と経験がないのではないか、と思ってしまう局面に遭遇します。でもCさんは自信満々。時に上司にもAさんにも報告せずにスタンドプレーをして、現場が戸惑うことも。しかしそのこと自体にもCさんは気付いていない様子。Aさんが直接Cさんとコミュニケーションをとって改善しようにも、話し合いに向かい合いたくなさそうな態度、かつミーティング後も改善なし。Aさんは、自分のCさんの体験を上司Bに話しているけれど、上司BはAさんが言っていることはもっともだ、Cさんには困っちゃうね、といいいながら、実際にはCさんと向かい合って話すことを何故か恐れている様子。違う場面で、Aさんは同時に、上司Bももしかしたら一部の専門分野では自分自身よりも知識がないのかもしれない、と感じ始めていたけれど、そんなことはないはず、と希望的展望をもっていた。
その後夢と対話していてAさんは分かったのでした。
このプロジェクトは、夢の中では ”楽しみにしていたコンサート。”
Cさんは、夢の中のドア前のスタッフ ”私は専門家じゃないので、わからないです、聞こえないし。” に相応する。
上司Bは、夢の中のスタッフの上司に相応。”問題は把握しています。駆け回って直しているとこです。” と言うが実際のところ問題解決能力がない。
Aさん自身は、夢の中で自分の耳の繊細さを疑っている。まさかすべてのクラッシック愛好家すら気づかないレベルの音を自分が聞き取れる能力を持っていることを。
Cさんは現実では威張った風で、Aさんを下に扱おうとするのだけど、実際のところは、ホールのドア横にいるスタッフと同レベルだということ。Aさんは自分の能力を疑っていたがもっと自信を持ち信じるべき。夢で自分が聞こえてる事をすぐに肯定できたら、コンサートが終わるまであんな体験をせずに済んだ。
Aさんは分かってしまった。自分の耳は(一部知識、能力は)上司BよりもCよりも優れていて、このチームの問題は上司Bの力不足で解決は望めない。この状態が耐えられない程ひどい、と思っているAさんは、小うるさい奴、なのではなく、ただただ、その状況のひどさがB, Cよりも把握できてしまっているからなのだ、という事。
そういう風に、夢の内容と実生活で体験していることがパラレルしているのを気づいた時、それは物凄い AHA! 体験である。
もう全てがわかってしまった、という感覚。
夢で提示されるシンボリックなもの、というのは実世界で扱っているIssueを、多次元で多角度からの情報を提供してくれる。夢と対話し、自分の中の無意識の要素が意識の層に侵入(penetrate)してきて、意識がその意味を汲み取れたら、いま扱ってる問題、悩みのパズルがふっと解けて、なんでこうなってるのかわかった!となって、実際の自分の物の見方や行動パターンが変わって、そうしたらまた生きる感覚とか人との関わり方なんかが変わっていく、という感じです。
しかし、この夢、イメージ と 現実世界のパラレルポイントを見つける作業は、慣れないと(慣れてても)簡単ではなくて
だから相当訓練をつんだ人と一緒に対話が欠かせません。グーグルの夢判断とか、シンボルの辞書ひいて、自分の夢やイメージの意味が分かり思考行動の変容が起きるならお手軽でいいんですけど。
ですから、ここのところ、より一層この 自分におきたシンボリックな体験と実際の体験を ”繋げる” ためのプロセスを大事にしています。
オンラインのセッションでは、音楽を聴きながらマンダラを描く、夢を持ってきて話す、というプロセスを行います。
そうやって、典型的なGIMセッションでなくても行ける深い、Numinous、psychic energy,に繋がりactivateし、無意識と意識の対話を促していくことが可能になります。
ところで、写真は香港名物、雲呑麺といつも頼む付け合わせの野菜。
香港もまじめに暑くなってきました。わたし的には日中に陽がさしているところを歩くときは帽子をかぶるか傘をささないと耐えられない、くらい。でも、梅雨な時期でもあるので、急にスコールのような土砂降りが始まります。先日ははいていた靴がスケートのように滑ってまともに歩けず、屋根があるとこに行き着く手前で派手に水浸しのレンガ道で尻餅ついたうえ背中まで倒れました。