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隠された日記 1

隠された日記 1_d0065558_15111365.jpgフランス映画。
「隠された日記」

女性3代、祖母、母、娘の葛藤。

祖父の年代。
まだ女性が働くことが、現代ほど一般化していなかった時代。
仕立て屋を営む夫のお店にでて一緒にきりもりしたい妻。
英語を習いにいって、それを子供達に教えていたら、近所の主婦のうわさになっている(お宅の奥さん、 ヒソヒソ ヒソヒソ)、自分の仕事の妨害をするのはやめて、いい奥さんをやってくれ、俺のために英語を習いに行くのはやめてくれ、という夫。

まだカメラが高価なものの時代に、写真を習いに行って、写真を撮る楽しさに目覚め、子供達の写真をとっていたら、怒ってカメラを壊して、いい加減にしろ、と怒鳴った夫。

妻は主婦で、自分の仕立てた洋服を着て、昼間は家で主婦たちを招いてお茶会をし、いい設備を整えられた台所で料理をきちんとつくり、子供の世話をする、というのを妻に望む夫。

そんな夫に、対等に口がきけない? 聞かせてもらえない妻。
傍からみたら、いつも綺麗な洋服をきていて、ステキな家があって、裕福な暮らしをしていて、何不自由なくくらせているように見えていたであろう彼女。

しかし、いろんなことに興味があって、働きたくてウズウズしていた彼女にとっては、
息ぐるしくて、息ぐるしくて、死にそうな毎日で、

でも、夫は、その気持ちを汲み取ることが出来ず、
家で家のことをしているだけの主婦を妻に求め続ける。

妻は、その気持ちを誰にも話せず、家族のために作る料理のレシピを書いたノートに書き綴られている。

もう 家を出よう。
子供達と離れるのは つらい。
ごめんね、ママを許して、でも このままでは みんな幸せになれない。

そんな気持ちを 抱えながらくらす日々

ある日、自分の銀行口座を持っていたことが夫にバレて、
「もういい!出て行け」 と言われる。
折りしも 荷物をまとめて 家を自らでていこう、と思っていたその日だった。

荷物を取りにいくこともできず、思いをつづった日記も引き出しの中にしまったまま、
ハンドバックひとつで、彼女は家を去った、子供達に別れを告げることも出来ないまま
でていけ、と言われて、そのまま。

父親は、子供達に「お母さんは家を出て行った」 とだけ言い、母親のものは全て燃やした。
自分が出て行け、と言ったことも、
自分が妻から自由を奪い、自分の理想の妻を演じるこを強いていた、ということも
子供達には、死ぬまで伝えなかった。

子供達は、母親に捨てられた、と思って育ち、自らも子供を育てた。
しかし、祖母の娘は、誰にも言っていない問いを抱え続けていた。

お母さんがいなくなった日。
学校から帰ってきたら、お母さんがいなかった。
寝ているのかと思い寝室にいったら、スーツケースがあり荷物がまとめられていた。
その夜遅く、父親は泥酔して、泥まみれで帰ってきた。
翌朝、母親のものは全てもやされ、母親を探しに出かけたが、なぜか父親は警察に届けなかった。

祖父が亡くなっている以上、真相は分からない
でも、祖母は祖父に殺されたのかもしれない、
祖父が
「お母さんが、自分とお前達を自ら捨てて家を出た。
夫婦間は何も問題がなく、あんなにも大事にしてあげていたのに。」と嘘をついていた、
という新たな視点が、日記と過去の記憶から、編み出されていく。

祖母の孫娘、母親の娘が、偶然 祖母の日記を見つけたことから、様々なことが紐とかれていく。
母は、自分を捨てたのではない。
自分は、母親に捨てられた子供ではない。

大好きだった母が失踪してから数十年以上背負ってきた重圧、疑いの心、人に話したくない気持ちが、
祖母の老年にさしかかった娘と息子の中で溶けはじめる。


自分の周りのオクサンは、みんな主婦をして家族の世話をすることで満足しているのに、
自分の妻は、それだけでは飽き足らず、働きたい、だの英語や写真を習いたいだの言ってくる。
それが許せなくて、そんな妻の気持ちが理解できなくて、妻が家庭にもち帰ってくる新しい風が許せなくて、
「自分のオンナ」なはずなのに、主婦というものは、妻というものは、家で飼っているペット?みたいな存在であるはずなのに、自分の妻は、自分の意思をもっている、自分のやりたいことが家庭の外にもある、

そんなの許せない!
世間体が保てない!

そんな、古い時代に生きた時代の犠牲者?のような祖父の気持ちも、察することが出来る。

周りにはいない、新しい事にオープンな妻が持ち帰る新鮮な風を一緒に楽しめたらよかったのに。
そうしたら、仕立て屋としても、あたらしいデザインのアイデアにつながったかもしれないのに。

でも、そう出来ない心理というのは、それはそれで存在する。
新しい風がちっとも心地よくなくて、むしろ暴風雨のように感じて、自分のアイデンティティーが壊されるような、自分の価値が否定されるように感じてしまったら、妻のクリエーティビティーは脅威にしか感じられないのだと思う。

妻を飼いならしているのが男のステータス、というのが時代で、その時代の価値観に自分も飲み込まれていたら、時代にそぐわないことをする、自分をご主人様、と犬のようにあがめない妻を持つことは、自分のアイデンティティーの脅威だ。例え、妻が夫をないがしろにしたくて自分の意思を持とうとしていたのではなくてもね。

時代とか、近所のうわさ から離れ
妻と向かい合い、
時代や夫が求めるままの妻を演じているのではない
まわりとは何か違う自分の妻の心の美しさを見出すことが出来たら
その時代には類まれない女性が自分の家族であることに対して
否定 や 抹殺 ではなく
もっと もっと 違うかかわり方、楽しみかたがあったであろうに、と思う。


そして、最後まで自分の子供達に真実を伝えられなかった祖父。
お母さんはこんなにクリエーティビティーにあふれてた
お母さんはこんなにも子供のことを思っていた
お母さんは自分が追い出した、自分がお母さんのただの主婦ではいたくない、
という気持ちを受け止めることが出来なかったから

そう伝えられなかったゆえに、
お母さんの失踪の真実をお父さんが偽造したストーリーで納得したふりをしなくてはならなかった子供達は苦しむ。


今の時代ですら、女性はこうあるべき、というのは根深くある。(もちろん、女性だけでなく、様々なことに対して、一般的にはこういわれてるから、こうあるべき、と考える人は多い)

一般論は、一般論として存在する。
でも、私は毎日の暮らしの中では、今目の前にいる相手、取り組んでいるものごと、と関わるとき
その対象を、一般論という色眼鏡でみず、ちゃんと自分の目でみて、対話をして相手を知り、自分で考えながら、自分で感じながら関係を築いていったり、プロジェクトを作っていきたい。

自分が何かを決めるとき、意見を言うとき、
誰かが~言ってるから、こうするのが常識だから、
ではなく、
自分がこう感じるから、自分がこういう風に考えるから、言う、行動する。

様々な価値観やアイデアをオープンに吸収しながら、消化し、クリエーティブに自分を発展させながら、その時その時の自分の言動は自分が決めてやっているのだという自負とそれに対する責任を持って生きていきたい。

あら、、、隠された日記とは、随分違うところに落ち着いてしまいました。
次回は、祖母の娘の視点で、映画の感想を書いてみたいと思います。

では~。
# by totoatsuko | 2010-11-30 14:55 | Comments(0)

When I Look In Your Eyes by Diana Krall

NYを離れるころ、友達が貸してくれたアルバム
人に限らず、何かとの出会い、というのは、必然であり、めぐりあいだと思っている。
それに対して、自分がどのように受け止めるのか、反応するのか、動いていくのか、
それは自分次第。

毎日が、めぐり合いの連続だけれども、
人生で大きな転換期を迎えていたり、心が苦しいときに出会うもの、というのは
より深く心にきざまれたり、響いたり、記憶されたりする。


その出会ったCDは、何度も 何度も きいていた
色んなNYですごした情景をおもいうかべ、
そのころ抱えていたかかえきれない色んな感情を味わいながら
歌詞も、メロディーも 全部 ぜんぶ ききいってた。


先日またききたくなって 引っ張り出して聴いた。

あの頃と、ある意味状況が似ているからかもしれない
transitional period - 新しいステージへ移行しようとしている時期。

もう、前いた世界には戻れないけど、
でも、まだどこに落ち着くか分からない、 という感覚。

もちろん、人生ずっと毎日 毎日 移行期間。
漂い続けて、毎日ちがう、毎日新しいものになっているのだとおもうのだけど

その中でも

例えば、ひろいひろい海を漂っていて
それから山脈の中へ分け入るまでの
おおきな変化をとげる 特別な移行期間が人生には何度かある。

劇的に風景が変わっていくさま。
がらりと風が変わっていくかんじ。
じわじわと足元の感触が変わっていくさま。
自分の漂い方も、環境に合わせてすごいスピードで、
地に足が着いているようなついていないような感覚で変わっていく
つぎの場所、どんな場所かもわからない、
ただ今までの場所からは離れていっている、ということだけが分かっている
不安や恐怖を感じながらも、みちを模索し、たのしみ、あじわい、
新しい内なる自分と出会いながら、
であったばかりの自分と対話しながらどこかへむかっていくプロセス。


このアルバムは、色んなテイスト・色んな感情が歌われているけれど
しいて言うなら、ずっとスウィングして ずっと漂っている感じを 音楽と自分の内面に私は感じているのかもしれない。

自分が、どこかへ漂着していくまでの、大波、小波に揺られながら、飲まれながら、、、
音楽にそんな体験を投影して、自分の感覚を、少し違う意識レベルであじわえることが心を落ち着かせてくれる。
# by totoatsuko | 2010-11-22 10:35 | Comments(0)

心が死ぬ

あなたは人としてなっていない
あなたは我侭すぎるから社会でやっていけない
お母さんは狂ってる
お父さんは、変人だ


そんな、その人の人格を否定するような言葉が 「家族の中で日常的に」 投げられる
そして、子供はやわらかい心で学習する、これが 「基本」なんだ、って。

こんな会話が日常で、
そんな攻撃性が、言葉のみならず、相手に手をあげる、という行動として日常的に出る
DV ドメスティック バイオレンス、

相手を否定することでしか、自分を保てない加害者の心の状態。
そして、否定される心や体の痛みが日常化し、
痛みに対する皮膚感覚・心の感覚が麻痺してしまう被害者。

虐待関係というのは、そのループにはまってしまったら、
加害者も被害者も、正常な感覚が失われ、正常な自己防衛力も機能しなくなって、

心が 死ぬ。
そして、気がついたら誰かが、本当に生命をおとしている。

相手の心を殺せる人の心も、死んでいるにちがいない。

心が死んでいるから、相手の痛みを感じることが出来ないから、
相手の心を殺す、ってことができる。


心が、常になにかにおびえている、こわい、とおもっている。
今この瞬間、加害者が横にすわっていなくても。
いつ 次に罵倒されるか、暴力をふるわれるか、 ぶるぶる震えている。


あるいは、客観的にみたら、相手は攻撃してきていないのに、
自分の恐怖を相手に「無意識に」投影して、
相手を否定する・攻撃することでしか自分を保つことができない、加害者の心理。

暖かい太陽の光を、心からよろこぶ余裕は、ない。
だって、こころは こわくて ちじこまっているのだもの。

そんなにおびえて暮らさなきゃいけないような相手とは離れるべき、という言葉も届かない。
だって、心は、そんな言葉をとりこんで自分なりに消化したり、なんらかの行動を起こすための、体力やフレキシビリティーなんて残ってないもの。

楽しいことを、嬉しいことを、悲しいことを、苦しい気持ちを存分に味わえない状態、っていうのは
心がしんでるのだとおもう。

そして、恐ろしいのは、自分の心が死んでるかどうか、ってのは
自分以外の誰もわからない、ってこと。
自分以外、自分の心をケアしてあげられない、ってこと。


どんなにひどい虐待を受けていても、
どんなにひどい心理状態であっても、
表向きはとてもにこやかな人、
自分の心が縮こまっていることに気づいていない、というのが大半。

ちょっとでも、悲しそうな顔をしようものなら、誰かに心に付け入られる
「どうしたの? 大丈夫? 」

って。 
それって、ぶるぶる震えている心にとっては、怖い。

なんて応えればいいの?
そうなの、怖いの・ そう応えたところで、相手がどれだけ分かってくれるかわからない。

ううん、ちょっとね・でも大丈夫。 って嘘をつくゲンキだってない。


ふれないで、かかわらないで、この血みどろの皮膚を、体を。
風が吹くだけで、傷はうずく。


心が死ぬ、死んだ心で生きる、というのは
ゾンビのような状態だとおもう。

ゾンビとして生きるつらさ、それはいかほどのものか。



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# by totoatsuko | 2010-11-18 10:17 | Comments(0)

責任能力

とってもヒドイこと
その人がその人であること自体が気に入らない
その人の装いとか、髪型とか、子供との接し方とか、、、気に入らない e.t.c e.t.c...

そんな、ひとつひとつ のこと
「その人がその人である」 大事な要素に対して 否定的なコメント
そんな言葉を、家族から言われたら、どんなきもちになるだろう?




それは言った人の価値観・視点からのみ見解であって、
他の人すべてがそう思っているのではない、とアタマで分かっていても
「対話」 という形ではなく、
そんな細部にわたって、きっちりと 「不満」 として ぶっつけられたら、
心はずたずたになるにきまってる。

そう簡単には、回復できないくらい、破滅的にね。


そして、少しして
ああ言ったのは、自分が混乱していたから、
自分を守るために言っただけで、傷つけるつもりはなかった、
あれは本心ではない、ごめんなさい。


そう謝られたとしても、

一度言葉にされた忘れられないヒドイ言葉は、決して消えない。
人生はゲームじゃない。リセットボタンはない。


そもそも、本心じゃない、ってなに?
理性で言葉を選べない状態であったからこそ、無意識に思っていることが
自分にとって真実に思っていることが、言葉になったのかもしれないのに。


そのときの言葉に込められていた敵意・鋭いナイフの攻撃力に八つ裂きにされた心や
言葉に乗せられた憎しみ・破壊力の強い爆弾が心の真ん中で破裂した状態、ってのは
決して、かんたんには癒されない。

むしろ、そう謝れば許してもらえる? 
あるいは
そんな気はなかった、と、自分があんな酷いことをする人だと認識されないため?に
再び自己防衛をしているようなだけなきがして、もっと絶望的になる。


そして思う。
裁判の祭に、精神鑑定をして責任能力が当時なかった、と判断されたら刑がかるくなる、ということを。
理屈はわかる。
錯乱状態で、自分が何を言っているか分からない、覚えていない、e.t.c.
だから、殺人をしても、刑が軽くなる。

理屈はわかる。

でも、加害者が錯乱状態だったかどうか、
そんなこととは全く関係なく、

命は失われている、もしかしたらものすごい恐怖や痛みの中で。
心だって、相手の精神状態とは関係なく、殺される。(心だって、”殺される”という状態があるのだ。)

加害者が錯乱状態だった、と分かったからって
被害者の痛みや、受けた傷は癒されない。

トラウマは、トラウマとして心や体に残り、
被害者は、それとともに生きていかなくてはならないのだ。
# by totoatsuko | 2010-11-18 09:50 | Comments(0)

菊花壇展

@新宿御苑


公園のひだまり お楽しみください~

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# by totoatsuko | 2010-11-11 17:06 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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