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カウンセリング@代々木上原・音楽療法・心理療法 GIM

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個性

d0065558_10592322.jpgオトナになると、いい大学を出たり、要領がよいことが とてもいいことのように話されるのをよくきく。

たぶん、給料がよかったりして、買いたいものがなんなく買えたり、社会的に尊敬される地位につけたりして、人生のチョイスが広がってるようにみえるからかな?

幼稚園、小、中学校では、アタマがいい子より、走るのがはやかったりするほうが、少なくとも私の周りでは、みんなの羨望のまとだった。

人は、ひとりひとり違うんだから、得意な事がちがって、当然。それによって、生き方が違ってくるのは、必然。


アタマがいいのも、個性。足が速いのも個性。同等だ。

ただ、いいアタマを使う場所がビジネスの場において沢山用意されている (お金や社会・家族あるいは地域からの評価に繋がる)が、足が早い人がその特技を生かす場が社会ではあまりない。

プロや、オリンピックの選手になれば、社会からの評価もそれなりに得られるかもしれないけど。


社会で生きていくということは、そういうことなのかもしれない。
社会の価値観・枠に自分を照らし合わせながら、枠の中で生きていく。

いいかえれば、社会的に成功する事や、社会・友人・家族に評価されることが、個人の幸せのバロメーターになっているというところか?

危うい。

社会の価値観とは別の自分だけの価値観ってあるはずだ。
人にみとめられなくても、自分自身の内面において満たされること。

それに気づいている人って、どのくらいいるだろう?
どのくらい、自分と社会の価値観が交じり合ってるのか考えた事ある人はすくない。

人が羨む職を持っていても、パートナーを持っていても、
どこか満たされない人はいっぱいいる。

自分次第では、例えば、
足が速くてアタマが悪い人生を最高のものにすることが出来ると思う。



それは、社会の価値観をベースに世界を感じていてはムリで、
きっと、自分の価値観・世界観を持つことによって、可能になる。
# by totoatsuko | 2005-09-26 10:44 | 日々感じたこと | Comments(0)

アイデンティティーII 〔写真:夏の終わり〕

d0065558_145786.jpgじゃぁ、どうやってその叫びと向かい合えばいいの?

それって、簡単な事じゃない。

ある人が、受験を終え、大学生になって喪失感を感じ始め、鬱な状態から、摂食障害になってしまいました。どうやら、これまで無視してきた ”一体自分はなにをやっているのか?何のためにやっているのか?”という質問が抑えきれなくなって、心ががらがらと音を立ててバランスを崩してしまっている。

何年もかけてゆっくりと、着実に培ってきた親、学校の先生、友達、そして自分自身との関係(それが、どういうものであれ)が、ある日突然バランスを崩してしまった。

その結果、生きている意味さえ、分からなくなってしまった。

この人は、そうなる前に、体に異変がきたすまで、なぜ心の問いかけに立ち止まらなかったのか?

親、先生、友達に対する見栄?
世間の価値観(A大学はよい)を自分の価値観と勘違いしていた?


いや、たちどまったかもしれない、何かがおかしい、と。

でも、セラピーが、何をやってくれるのかも分からなかったし、
セラピーに行くのは病気だとレッテルを貼られそうだから、と抵抗感があったかもしれない。

でも、私は自分自身の経験から、自信を持って言える。
いいセラピストとのセッションは人生を変える。

私達は、一人で、何役も持っていて、さらに、それぞれに感情がある。 日々追われてすごし、なかなか深層心理に注意を払う事が出来ない。私達の人生は、学芸会とちがって、やりたい役に立候補して、役を獲得するのではなく、さまざまな役割が責任が好む好まざるにかかわらず、意識しないうちにまとわりついて来る。

とても、一人で扱えるほど、私達の心は単純じゃない。
薬でコントロールしきれない、魂の叫びが存在する。

Who am I? (私は誰?)
●●会社のXXです。
灘田(という家の者)です。
●●大卒業生です。

かんたんな答えは一杯あるし、世間はそれで納得する。

でも、自分はしっているだろうか?体外的な代名詞では説明できない、
宇宙のように広く深く入り組んだ自己(Self)があることを。
# by totoatsuko | 2005-09-20 21:59 | 日々感じたこと | Comments(0)

小雨のボストン 〔写真:チャールズ川)

d0065558_13524898.jpg
夏の間離れていたボストンの我が家に帰ってきて数日が過ぎました。

友人によると、この夏ボストンはまったく雨が降らず晴天続きだったのに、ここ2,3日台風の影響で雨続きなのだそうです。

日本での大地震、南アジアでの津波、異常気象、台風カトリーヌの被害。
地球が悲鳴をあげている。人間と共生していくことを諦め、人間を見捨てて、自分を守ろうとしているのか?

戦争。テロ。
少しでも、"感情”があれば、戦争を始めよう、なんて言えないはずだと私は思うんだけど

医学の進歩、便利な生活、e.t.cを手に入れたはずの私達ですけれど、反面、自然な生き方をする事が難しくなってきています。

土に触れることなく、風のそよめきに気付くことなく、心の痛みに共鳴することなく生きていくのは、人間にとってとても不自然な気がしてなりません。

人間は、気づかないうちに自分達を傷つけ、破滅にむかっているように感じてなりません。


9月、たまっていた事、新しい事を始めるための事務的な作業におわれて、なかなか書く時間がとれないでいます。

近いうちに、アイデンティティーIの続き、日本に久しぶりに帰って、いろんな人に会って感じた事をぼちぼちアップしたいと思っています。

音楽療法や霊気、私の活動などについて、質問があったら伝えてくださいね。一人の方が思っていることは、結構他の大勢の方も思っていることがよくありますから。大事に答えていこうと思っています。
# by totoatsuko | 2005-09-17 13:52 | 日々感じたこと | Comments(0)

アイデンティティー I

d0065558_11434266.jpgWho am I? / 私って誰なんだろう?

セラピストである以上、この質問は常に、自分の内側から、またクライアントから問われ続けます。いかに自分の足でしっかり立っていながら、クライアントの立場に寄り添えるか、というのは口で言う以上奥が深いです。


ユング臨床心理士の河合隼雄が彼の本の中で書いていました。
日本人は、まず社会があって、自分があると考えるのに対して、
欧米人は、まず自分があって、それが社会を形成している、という概念をもっているのだとか。

全く逆ですね。

日本人の感覚についてもっというと、
日本人は、自分が属する社会や組織のなかに自己のアイデンティティを見出す。ユニークな自分であることよりも、自分が属している組織がうまく回るために、自分を調整することの方が大事。仕事外でも、自己紹介をするときに、「●●会社の・・・です」とまずは社名を述べるというのは、その表れの一つ。

また、夫婦の間での呼び名が、その人の名前ではなく、”お父さん”"お母さん” という、家族の中での役割の代名詞だったりもする。会社で言えば、"課長さん” ってよんでるかんじ。

もっとも、「会社」 という自分のアイデンティティーを永遠に与えてくれているかに見える組織に、人生のほとんどをささげ、自己を見出している人には、家族という組織のなかの、"お父さん” "夫”という役割に自分のアイデンティティーを見出さず、その結果、その役割を実行しない人もいるけれど。

そういう人は、会社をやめたとき、大きな喪失感を感じることになるだろう。
なぜなら、会社=自分の存在意義 (アイデンティティー)だったから、辞めたとき自分の存在意義がなくなってしまうのだ。

折角家族がいても、その組織の中の自分の存在はなんなのか、知らず、問わず、生きてきたならば、退職したあといきなり、家族という組織に、自分のアイデンティティーを見つけるのは難しいだろう。

いや、退職したあとだけじゃない。若くても、じぶんってなんなんだろう、って思ったことがある人は結構いる。

また、いつまでもお母さんの”ムスコ”"ムスメ”としてしか自分をアイデンティファイできないでいると、マザコンとか、一卵性母娘となる。結婚して自分の家庭を持っていても、自分のパートナーときちんとむかえ合えず、二人の間に問題が持ち上がったときは、ムスメ、ムスコという側面が母親を夫婦関係に持ち込まれ、子供の頃から自分たちの救済者=母親 に問題解決の一端を担ってもらおうとするだろう。

母親、という役だけに自分をアイデンティファイしている女性は、"母親”というアイデンティティーを失わないために、子離れに抵抗する。子供たちからのSOSをいつでも喜んで受け入れ、よけいに、彼らの成長をさまたげる。

ここまで読んでいただいて気づいた方もいるだろうが、そう、一人の人間のアイデンティティーは一つではないのだ。

同時に、会社員であり、父親・母親であり、誰かの子供であり、夫・妻 あるいは愛人であることはごく当たり前のこと。

ただ、それらの役割が自分の中で調和が取れているかが問いのひとつだ。

例えば、会社員としての自分は、母親であるがために果たさなければならない仕事があることを、キャリアの妨げであると感じ、否定する。その結果、子供が人生の足手まといに思えたりもする。

しかし、どんなに社会的に成功して満たされていても、その社会には属さない自分 (例えば、一人の女性として、だったり、家族の一員としての自分)がおざなりにされていたら、様々なアイデンティティーをかかえる一つのおおきな「自分」は、究極的には幸せといえないだろう。


「和」 が重要な日本。
自分を押し殺すことも、あたりまえ。

日本と比べ、強調性がないアメリカ社会でくらしていると、そんな日本の体質の美しさもよくわかる。

キケンだと感じるのは、押し殺していることに気づかずずっと生きてきて、ある日突然切れてしまい、登校拒否、欝や過食・拒食などになってしまうこと。

それは、無視された、あるいは押し殺されたおおくの「自分」の一人(だけじゃないかも?)からの、魂からの叫びなのだ。


(II に続く)
# by totoatsuko | 2005-08-13 01:52 | 日々感じたこと | Comments(0)

GIM個人セッション体験@東京

区民会館が5時半から使えるので、グループはちょっと、という方のために、個人セッションを企画しました。

時:2005年9月1日(木)
時間:午後5時40分ー7時10分
場所: 笹塚区民会館出張所。和室
会費:3500円
定員:1人 (先着順)

興味がある方,質問等は、メールをこちらまで→totoatsuko@hotmail.com


Guided Imagery and musicのより詳しい内容は、以下を参照してみてください。

http://totoatsuko.exblog.jp/1223376
http://totoatsuko.exblog.jp/818606
# by totoatsuko | 2005-08-05 04:26 | Comments(0)

GIMワークショップ @東京 & 広島

d0065558_13521022.jpgガイデッド イメジェリー & ミュージック セッションを体験する、ワークショップのお知らせです。

東京
時:2005年9月1日(木)
時間:午後7時半ー9時半
場所: 笹塚区民会館出張所。和室
会費:1500円 (部屋代とセッションで使う材料費カバーのため)
持ってくるもの:自分自身のほかは、特になし。
定員:6人 (先着順)


都内から少し不便な場所なのですが、建物が新しくて綺麗だし、和室があるので、ここにしました。セッションは、床にすわって行ないます。

8月28日から3日の間で、参加者と場所 (東京)を確保してくだされば、私の都合が合い次第、出張ワークショップも行ないますので、ご連絡ください。

広島
時:2005年9月8日(木)
時間:午後7時ー9時
場所:デイケアセンター ゆたか (永田医院2階)
広島県安芸郡府中町桃山1-13-15
会費:500円
定員:6人 (先着順)


興味がある方,質問等は、メールをこちらまで→totoatsuko@hotmail.com

過去のGIMワークショップ体験者の体験談はこちら
# by totoatsuko | 2005-08-02 13:51 | Comments(0)

理屈は要らない

d0065558_12534371.jpg"A rose blooms because it blooms, it is without why"

詩人のアングラス シレシウス (Anglus Silesius)のことば。


花は自分自身の安全を気にしているだろうか?
誰かに見守られていたいと思っているだろうか?
他の草花や、人間、環境に受け入れてもらいたい、と願っているだろうか?
他の色の花にうまれてこれたら、と考えることはあるだろうか?

花は 花であるから咲いていて、それ自体が"花”という存在の証だ。
花はヒトに”美しい”と言われるために咲くのではなく、花だから咲いている。
化粧をする必要もなく、誰かを喜ばすために咲いているのではない。

それにひきかえ、私達人間は 多くの場合 ”何故?”という 理由付けによって、自身の存在を確認する。何かを決断するときは、多くのしがらみを無意識のうちにひきずっている。

こうしたら、社会が、友達が、親が、先生、あるいは自分の良心がなんていうだろう?
ああしたら、非常識と思われるかも?そうしたら、変わり者とのけ者あつかいされるかも。

こんなに外部の要素を気にしながら生きている私達は
どのくらい本来の自然の自分として決断をし、それに自信を持って、自分自身の人生を生きれているんだろう?

あまりにも、自分以外の目を気にして生きてきたがゆえに、本来の自分は誰なのか分からなくなってはいないだろうか?

どうやったら自分らしく生きれるか、という問いにたいして、簡単な答えはない。

私達は社会の中で、環境の中で生き抜くために、自分自身をコントロールし、変化させていかなくてはならない。
季節が変わるごとに、服を着替える。暑さに、寒さに耐えるために。
出かける場所 (例えば、学校、パーティー、それか自分のベッド)によって、服を選ぶ。
多くの場合、無作為のうちに。

そうやって作られていく自分も、自分の一部なのだけど、問題は、どうやって本来の自分を失わずにいきていけるか、ということだ。

もっとも、自分をうしなっている、なんてこれっぽっちも気づかずに、疑問も感じずに生きている人はたくさんいるけど。。。

だから、本来の自分って誰なんだ?何が自分にとって自然ないきかたなのか、
そんな疑問をもてるのは、その答えを見つける旅のおおきな第一歩。

答えは、自分のなかにある。考えても見つからない。
何故なら、答えはアイデアとか理屈じゃなく、"生きる”こと自体だから。

これに続くもう一つの質問は、
何が本来の自分であることを否定し、何が本来の自分を殺しつづけているのか?

私達は、色んなしがらみと繋がっている。過去のトラウマ、些細な一言、社会、家族、祖先の目、しきたり、自分自身が自分に課した決まり。それ自体、はっきり認識していないかもしれない。

よく分からない混沌のしがらみのなかで、知らず行ったりきたりしながら、自分は"自由”であると思うかもしれない。そして、もっと深いもつれた場所にはいりこんでしまう。

もし、そのしがらみと向かい合い、適当な距離をつくることができたなら
世界はこの目に どう映るんだろう?
心は どう感じるのだろう?

熱くて殺伐とした砂漠をさまよっている、と思っていて、その環境から必死に自分を守ろうとしていたけれど、

もし、気づいたら?
砂漠にきてしまったのは、自分で選んだわけではなく、
何かを避けるためにさまよった末だと。
もし、何から避けているのか気づくことが出来たら、その対象と対話をすることができる。
案外、砂漠まで逃げなくてはならないほど怖いものではないかもしれない。

本当の自分はどこに行きたいのか、なにがやりたいのか?

そのために必要なものは、すべて自分の中にある。
きっとみつかる。ただ認識していないだけ。

自分らしく、自然体に生きることに理屈はいらない。
# by totoatsuko | 2005-07-28 12:48 | 日々感じたこと | Comments(0)

霊気とGIMセッション

典型的なGIMセッションは以前の記事で紹介しましたが、霊気とGIMの音楽部分をつなげて行なったセッションについて紹介したいとおもいます。

GIMセッションの典型的な流れをここでもう一度簡単に表記しますと、
セッションは3つのセクションに分けることが出来ます。
1、会話をする。
2、言葉の誘導に続き、音楽体験にはいっていく。
3、音楽体験を振り返る


私は、2の言葉の誘導の部分で、霊気を取り入れることがあります。
言葉の誘導は、クライアントが深い音楽体験にはいっていくのを助けるのが主な目的です。

例えばある特定の場所や、色を思い浮かべることを提示したり、体をリラックスさせるエクササイズをすることもあります。

これらを、言葉ではなく霊気のテクニックを使って行なうのです。
霊気のセッションは、体全体に手を当てていくため、それ自体で1時間半くらいかかりますが、私がGIMセッションで使うときは、頭のポジションのみ手を当てます。

なぜ言葉ではなく霊気のテクニックをつかうのかというと、
時に、言葉は私達を理性、理屈のレベルに引き戻してしまい、心の深層に入っていくのを妨げることがあるからです。

霊気には、私達の肉体だけではなく、心、魂のバランスをとる力があります。
霊気セッション中に、イメージが浮かんだり、強い感情がうきあがってくるのは、その一つの例といえるでしょう。

GIMで霊気を使う場合、霊気によってリラックスし、浮かんできたイメージや、感情の奥深くに、それに続く音楽とともに入っていき、心の内面を探索していくのです。
# by totoatsuko | 2005-07-25 09:09 | 霊気 | Comments(0)

霊気とは

レイキ(臼井霊気療法) は、戦前に臼井甕男が創始した療法のひとつです。
戦後アメリカを中心に世界中に広がり、日本に逆輸入されるきっかけに成ったようです。
メソッドは、簡単にいうと、霊気療法士が決められたいくつかの体のポイントに両手をあて、その人のエネルギーのバランスをはかるものです。
エネルギーを消耗しない構造のでヒーリングといえるでしょう。

手当てや手かざしによる療法は、洋の東西を問わず、太古から実践されてきた自然療法でした。お釈迦さまやイエス・キリストさまも、手当てによって病を癒したと伝えられています。ただそれは個人の資質や宗教的存在によるものと考えられ、特殊な能力を持った人しか行えないと捉えられてきました。それを誰でも実践可能にしたのが、レイキのヒーリングシステムです。


「自分や家族で独占せず、多くの人々に治癒能力を授けて喜びを共有しよう」と考えられた臼井先生は、この能力を「臼井霊気療法」と名づけ、同年4月に東京・青山に移転し「臼井霊気療法学会」を創設されました。施術を行うとともに霊気療法の公開伝授を行い、屋外に行列ができるほど盛況だったそうです。

現在、アメリカの病院内では、レイキ療法が認可されています。イギリスやカナダでは、レイキヒーリングに保険が適用され、先進国においてレイキは、代替療法としてもポピュラーな存在となっていきました。
# by totoatsuko | 2005-07-25 08:32 | 霊気 | Comments(0)

Guided Imagery and Music のトレーニングプログラムについて

ガイデッド イメジェリー アンド ミュージック(GIM)セラピストになるためのプログラムは、現在アメリカ、オーストラリア、ヨーロッパにいくつかあります。

GIMについてのおおよその情報はAssociation of music and Imagery (AIM)のオフィシャルサイト(英語)に載っています。

AIMオフィシャルサイトの中のGIMトレーニングプログラムについてのページ


このプログラムに出願するのに必要な条件は、何らかの分野で修士を取得していること、臨床経験があることが、最初にあげられるでしょう。その他の細かな条件は、各プログラムによって異なりますが、面接があるので、その人がセラピストに適正かどうか、というのも見られていると思います。

GIMセラピストバックグラウンドは様々で、例えば、ソーシャルワーカー、マッサージセラピスト、サイコセラピスト、医師、音楽教育を学んだ人など。音楽療法士である必要はありません。

GIMトレーニングの最低限の必修科目はAMIによって決められていますが、履修内容は、各プログラムによって大きく異なります。

私が学んだCreative arts instituteは、GIMを深層心理セラピーと位置づけ、3年にまたがって授業が組まれています。授業と平行して、スーパービジョンをうけながら臨床の実践もしていきます。

あるプログラムは、GIMをスピリチュアルジャーニーと位置づけ、それに沿う授業内容だとききました。

私が学んだ内容は、大まかに言うと、GIMセラピーでの音楽の使い方、トランスパーソナルセオリーとその実践、その他のGIMセラピーセッションに必要なテクニックについてでした。

以上で不明な点、具体的な質問がありましたら、お知らせください。
# by totoatsuko | 2005-07-18 23:54 | GIM:音楽と深層心理イメージ | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
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