カウンセリング@代々木上原・音楽療法・心理療法 GIM

totoatsuko.exblog.jp ブログトップ

<   2018年 10月 ( 4 )   > この月の画像一覧

インセプション X 変遷意識状態での体験

d0065558_09593089.jpg
GIMセッションにおける 
変遷意識状態での体験のクオリティーは
その時その時、その人その人で異なる。
 
より深い変遷意識の層に降りていって
より幅広いdimentionで体験するには
クライアントのセラピストや音楽に対する信頼が欠かせない要素になってくる。

映画 インセプション では、本当に深いレイヤーまで登場人物たちは降りていっている。
映画の中:夢の中の体験 (変遷意識状態でのイメージ体験)を安定して体験することを可能にする不可欠な要素は強力な薬品とマシンに委ねられていた。そこの要素が、まさにクライアントとセラピストで構築する、トリップを始める以前の問題として重要かつ困難でもありうる、非常にヒューマニスティックな要素なのだけど。

勿論、トリップの目的も違う。
映画には描きたいプロットがあって

GIMセッションの場合は、自分の内面を自分でワークする、という目的にそって、セッションの内容は組み立てていく。だから、勿論、変遷式状態にトリップしたいだけとか、変遷意識状態に連れてってもらってトリップ体験事態やセラピストに自分の状態をなんとかしてもらいたい、というスタンスだと、セラピーのプロセスになっていかない、と言える。

トリップしたいだけだと現実逃避を助長させることになるかもしれないし、
トリップして見たものを理想化して、現実とのギャップに苦しむことを生ませてしまうかもしれない。








[PR]
by totoatsuko | 2018-10-24 22:29 | Comments(0)

映画 インセプション x GIM

d0065558_10010572.jpg
2010年に公開された クリストファーノーラン脚本の インセプション 

かなりざっくり、しかも偏った視点からの纏め方になってしまうけど
顕在意識より深い意識の層 (altered state of consciousness)の中に入って、
過去の出来事に対するperceptionや記憶、feelingの色合いを変える操作を行って、
その結果、顕在意識レベルでの世界の捉え方、生き方を変える、というミッションが描かれている映画

他人が恣意的に操作しようとするところは全く違うのだけど、、、
自分のための変容のプロセスの途中で、
その変容を邪魔しようとするキャラクターや事故、
変容の価値を疑わせ、止めさせるための正当な理由を自分自身の心理的要因が創造したり、
そのプロセスが危険に満ちたものであり、とても繊細で、予想もしないようなハプニングが起きていくたびに
自分自身がそれと向かい合い、死にそうになりながらプロセスを前に進めて行くようなことろ
激しい葛藤
和解

そんな要素が、GIM/音楽心理療法の作業・プロセスと丸かぶりしている、と思いながらみていました。 

GIMのような深い心理プロセスが、こんな壮大な映画として、しかもメジャーなハリウッド映画として8年前に作られていた(クリストファーノーランは鬼才だと思うので、少し王道ハリウッドエンターテイメントとは一線を画しているという印象だけど)、というのに、私は今ちょっとした衝撃を受けています。

とはいえ、映画の中でも描写されているように、その深層心理の変容プロセスの”体験”はいつでも、自分自身の抵抗によって中断されたり妨害されたりする。
altered state of cosciousness の層での作業は、不安定で巧妙で壊れやすく繊細でありながらパワフルであるがゆえに、
映画の中で最終的に起こるような 内的な”変容” ”和解” ”resolution" に心理療法プロセスを通して行き着くには、
クライアントもセラピストも、相当な経験を通り越すことになる。

映画の最後の方で、全員が飛行機の席に戻った時
ああそうだった、今まで潜在意識の出来事をみてたんだ、と思わされたところに、この映画の作りの巧さを改めて感じました。

夢を見ている時は、多くの場合、夢をみていると自覚していない。
それくらい顕在意識から離れたところまで降りていって必要な心理作業が心理療法セッションできると 
(そのためには、セラピストや音楽に対する信頼の度合いとか、自分がreadyかどうか、等様々な要因がセラピーの作業の一環として構築する必要があ理、それがまた大きな仕事なのだけど。映画では、その要素は薬品とマシンに委ねられていた。)
本当に、”今” の感覚が変わる、自分や人、世界に対する感覚が変わる、というのは私自身のGIM体験から言えること。








[PR]
by totoatsuko | 2018-10-23 10:35 | Comments(0)

聴きたくなる歌

d0065558_21585309.jpgたまに聴きたくなる歌 ってないですか?

私は、何かのきっかけで知った歌の中のほんの数曲をたまにふと思い出して、何度もリピートして聴きたくなる。

今夜は家の中が比較的静かで やらなくてはいけないことも少なかったので あの歌、どんな歌詞だったっけ?と聴きたくなって
歌詞の一言ひとことを噛み締めてきいて、一緒に口づさんでいた。

インターネットってほんと便利。歌詞の一部とかしか思い出せなくても見つけられる。
そして、同じアーティストの他の歌を発掘したいりする。

最後にその歌を聴いたときのことを思い出したり
そのとき社会で起きていたことに思いを馳せていたり
今の自分の感覚に重ね合わせて、感情をFlowさせたり。

一つの歌から感じることが七変化して心の中に様々な色で埋めていく。

心の中のエネルギーが解放されていくような感覚というか。
その感情の動きを主観的に体験しながら、客観的にその音楽体験についてや、そこから起草された思い、引き上げられてきた記憶、を具体的な文字に落としていくことで、同時に自分の存在に対する感覚が変化していっているのが再確認されていくというか。





[PR]
by totoatsuko | 2018-10-15 22:12 | Comments(0)

家族という密室でまかり通るルール

d0065558_22480787.jpg
毒親サバイバル
という本が今年8月に出版されました。

自分の親を愛さなくてもいいんだ、許せなくても当然なんだ、そう思わせてくれるエピソードたち。

この本は、なんだか子ども時代辛かったな、
自分にとって大事だと思ってる人との関係がいつもうまくいかないな、ヘルシーじゃないんじゃないかな、

と思っている人には、そこから自由になるために自分が今の自分に何をしてあげたらいいか
道が拓けてくる感じを感じさせてくれるかもしれない、と思いました。


子どもは、自分の家庭がある意味全てであり基準だと無意識に位置付けして子ども時代を生きるので
自分の親が毒親であるかどうか、なんて考えることは稀です。
たとえ、親に殴られて、怒鳴られて、辛くて、ビクビクしてても、
お風呂もろくに入れなかったり、ご飯もろくに提供してもらえなくても、その世界しか知らなかったら、そういうものだ、と子どもは思う。
もちろん、貧しい国の貧しい家庭で育児放棄や虐待をしていなくて、ただ、習慣として、その土地の基準として、お風呂に毎日入らない、とか、食事の支度のされ方や内容が他の国の文化と違う、ということはありますが、、、それとこれは別の話。

田舎のクローズドな地域で生まれ育って
ネットにもアクセスできなくて、親や親戚、その地域の大人だけが情報源だったら
嫌なことが起きても、人生そんなもんだ、という大人しか周りにいなくて、
しかも、その地域から出て生きる、という選択肢も概念も持ってい人な感じ。

あるいは、例えば、スポーツ界の暴力
いい選手になるには暴力的なコーチングでないと選手を奮い立たせられないのが当たり前。
性的アビュースも当然応じないといけないもの。それは、自分が大事に思われてるからされてること、と自分に思い込ませるし、その理論がその世界ではまかり通っている。
そもそも、それが暴力、とか、アビュース、とかとは、双方が認識していない場合が多い。

自分が毒親のもとで育ってきたか
自分が毒親をやっているか

それは、自分ではなかなか気づくことができないかもしれません。

立ち止まって自分や自分と親、自分と子ども、を見つめてみるとき、(まず立ち止まろうと思うかどうか、のところにハードルがあると思いますが)
自分の家庭では当然だと思われたことが、自分の生きづらさや 人との関係を築く時に影響を与えているかいないか
というのは判断基準の一つになると思います。

自分が無力であるかのようにに感じさせる関係を自分で選んでいないか?
自己嫌悪になるような行動を繰り返していないか?

気づいてから、本質的に子どもの頃の経験から自由になるには長い道のりがある。
けれど、その生きづらさを生み出し続けている根源から自分で自分を解き放つこと、
どこにどう囚われているのか気づき、それらの鎖を断ち切ることは可能だと思います。




[PR]
by totoatsuko | 2018-10-07 22:48 | Comments(0)
line

音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite