カウンセリング@代々木上原・音楽療法・心理療法 GIM

totoatsuko.exblog.jp ブログトップ

<   2018年 06月 ( 3 )   > この月の画像一覧

日本の建築展

森美術館の日本の建築展に行きました。

日本が画一的、というのは一般論にすぎない、と思わせるような
のびのびと個のユニークさを育み生き方にも仕事にも投影している日本人たちのワークを建築展で触れました。

その建築家たちは、”卓越していたから”、潰されなかったのか?
打たれても跳ね返すだけの強さとしなやかさを持っていたのか?

みんなと違いすぎれば、
相違を嫌い、協調性を何よりも求める空気に潰されることなく、
その資質が尊重され、その才能が日本文化の発展に貢献し、社会全体の常識を書き換え、

世界に誇るものを確立することができたのか?

穏便であること、和を保つこと、空気を読むこと、自分を押し殺すこと が大事だ、という空気がある日本で
個が無理をせず、自分に嘘をつかず、お互いを尊重しながら生きるようになれるには 何が必要なんだろう?



[PR]
by totoatsuko | 2018-06-29 10:24 | Comments(0)

当事者意識・海洋汚染 

6月上旬、G7首脳会合の後に出された宣言によると、カナダ、フランス、ドイツ、イギリス、イタリアは、EUと共に、プラスチックごみによる海洋汚染への具体的な対策に関する合意文書「海洋プラスチック憲章」に署名しましたが、日本とアメリカは署名しませんでした。

海洋プラスチック憲章は、2030年までに、すべてのプラスチックをリサイクルしようと参加国に促すものです。

海やビーチがどれだけ汚染されているか・・・


インドの貧困地区の様子とプラスチックゴミ

the Ocean Cleanup のビデオが少しアイデアを与えてくれるかもしれません。(以下引用)

海に流れ出るプラスチックごみは、年間800万トン以上。海の生き物などに深刻な影響を与え始めています。このNPOは、北太平洋でとりわけ海洋ゴミが多く集まる「太平洋ごみベルト」と呼ばれる海域のゴミを回収するため、新たな装置を開発しました。 全長600メートルのU字型のパイプの下に3メートルほどのスクリーンを取り付けて海に浮かべ、数センチのものから数十メートルの大きなものまで、プラスチックごみを待ち伏せしてくまなく集め、最終的には船が出向いて回収する流れです。 「何度も何度もテストを繰り返して、太平洋ごみベルトにも視察に行った。私たちはごみを回収して、海を綺麗にできると確信しています」(NPO団体 The Ocean Cleanup ボヤン・スラット代表) 今年9月から装置を本格稼働させ、日本の国土の4倍ともいわれる「太平洋ごみベルト」のゴミを、5年以内に半減させたい考えです。(引用終わり)


先日、ビーチクリーンに参加しました。

浜も海も本当に綺麗なのに、驚くほどにゴミ(ペットボトル、ビン、カン、漁業中に流れてしまったと見られる網、有毒な鉛を含む漁業グッズ、ブイ・浮き玉、e.t.c)がビーチの景観を汚すとともに、生態系にも影響を与えていて、結構な衝撃でした。

大人も子供も含めて40人くらいで2時間かけてゴミをピックアップし、分別し、ペットボトルは印字されてる番号からどこの国から流れ着いたかを識別し集計してレポートする。


海が見えない、ビーチに行くこともない場所に住んでいると、海洋ゴミの問題は自分の生活を脅かすものだとは感じにくい。

私たちがビーチクリーンを終えて引き上げようとしている頃、若いカップルが腕を組んでビーチに向かって歩いて行きました。彼らは綺麗なビーチを多分当たり前のように感じることでしょう。

思考だけでは当事者としての感覚は得られません。

誰しもが、恐ろしく汚染されたビーチクリーンに一度は参加して見たらいいのではないか、と思いました。そうすると、理屈よりも、感情が、感覚が、このままではいけない、と自分の内側から突き上げてくるのではないかと思いました。


私たちは、地球に生かされているのですから・・・


#音楽心理療法体験談 まとめページ


 
ヤムナ・ピラティスセッション@代々木上原 のページ

お問い合わせ、セッション予約 は letsmusicingATgmail.com まで。





[PR]
by totoatsuko | 2018-06-22 20:01 | Comments(0)

家族ってなんだろう/ 万引き家族

d0065558_10594281.jpg
家族というと、誰のことを指すのか?
血が繋がっていない人同士は 家族 という言葉に値しないのか?
血はそうじゃない繋がりより何よりも強いのか?

血が繋がっている者同士の殺し合い、憎しみあい、暴力。
血が繋がっているがゆえに、血が繋がっていることを理由にして引き起こされる諍い。
時に、それは想像をはるかに超えた醜さをうむ。

血が繋がっているから、虐待しても許されるのか? 虐待を我慢しなくてはならないのか?
血が繋がってるから、法的に家族という関係だから、その関係から逃げちゃダメなのか?

自分を虐待する人を自分の家族、として付き合い続けなくてはいけないのか?
自分に関心も持たず、思いやりの心のやりとりもほとんどない人同士の法的な家族の形を、本当の意味で家族と言いたいと思えるか?

養子や里子、血では繋がっていない家族の形もある。

何より、夫婦は、カップルは、その者同士は血で繋がってない。
だけど、法的な手続きをとって、あるいは取らず? 家族 としての関係を築いていく。
それぞれにとって血の繋がりがある子どもがいれば、その子の親として、子育てチームとして、家族関係を築いて行く。

血が繋がっていないところから、血の繋がりが生まれ、家族 と呼ばれる生活集団が生み出される。
(法的には違う判断をされるケースもあるけれど)


家族 をどう定義するのかは人それぞれだ。

血には勝てない、家は長男が注がねばならない、と
血を理由にして、本当は血の問題では無いその人の心の問題に周りを巻き込んで
自分にとって大事にしていることを結果的に失っているんじゃないか
と思わされることもある。

血が繋がってたって、繋がってなくたって
お互いが相手との関係にどう向かい合うか、どんな時間を積み重ねてきたのか
どういう質の関係を、どんな感情を積み上げていくかは
当事者だけでしか体験できないことだ。

何をもって 相手との関係を ”家族” とよぶのか?
パートナーと、子どもと、どういう”家族”関係を築いているのか?




[PR]
by totoatsuko | 2018-06-21 11:20 | Comments(0)
line

音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite