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97歳 大往生

祖父が97年の人生を閉じた。
遠くに住んでいたので、その幕引きの様子を近くで寄り添うことは出来なかった。

聞くところによると、2ヶ月位前に肺炎で入院。
退院後、食欲がなくなったので、胃に穴をあけて栄養を注入出来るよう、手術ー入院。
退院後、痰が詰まるようになったので、痰除去器具を購入して、1時間後とに吸引。
その1週間後、永眠。

食欲がなくなり、祖父が人生を大幕を引こうとしているところに、97年魂を宿し、今ようやく休息の時を迎えようとしている肉体にメスを入れて、何が何でもからだに栄養を注入しようとした理由が、個人的には理解できないし、悲しかった。それが医師の提案だったのか、家族の希望だったかも知らない。祖父とちゃんと対話して、祖父が自ら希望した手術かどうかも知らない。

家族としては、一日でも長く生きて欲しかったのか。
家族は、肺炎や食欲不振などが祖父の肉体と魂が幕をひこうとしていた現象だとは思っていなかったし、今も思っていないので、祖父の死はものすごく唐突に感じ、衝撃をうけたそうだ。

亡くなる1日前、もう長い間つけっぱなしだった点滴をはずして欲しいと、反対されても、頑なに希望したそうだ。何故、この期に及んで、祖父の希望をすんなり受け入れてあげられなかったのか。やはり、それが祖父が死への準備をしている、と察しなかったからではないだろうか。

もちろん、祖父とその家族の間で、死につての対話はなかったそうだ。

断っておくが、このような人生の幕引きはよくない、といいたいのではない。
彼らは、彼らなりの考えがあって、97年という人生の幕引きシーンの中でそういう役を演じたのだから。
そして、そういう家族との関わり方、そういう幕引きの仕方は、祖父の人生らしかったのかもしれない。
元気なころ、あまり家族と会話していないのに、死ぬ前になっていきなり家族とコミュニケーションを頻繁にとる、というのは祖父の人生らしくない。

彼らにとっては、この一連の死への流れはごく自然で、
ただ、「私にとっては」残念な幕引きに「みえた」というだけのこと。

お葬式を終えて、私は自分の家族にお願いした。
私が死へ向かって歩き始めたら、西洋医学や東洋医学その他色々あるけれど、そういうものを使って、何としてでも引きとめようとはしないで欲しい、どんなに別れが悲しくても、どんなに誰かが引き止めるよう進言してきたとしても、と。私の人生の尊厳を認め、私が私のペースで死んでいくく歩みを見守って欲しいと。

みなさんは、自分や家族の死、死んでいくことについて、家族とまじめに話したことありますか?
by totoatsuko | 2009-06-05 23:41 | Comments(2)
Commented by saya at 2009-06-09 18:21 x
介護については話したことがありますが、死については深く話したことはありません。でも、“人間死ぬ時は死ぬもんだ”と淡々と言う父親の言葉をちょっと理解できたとともに、自分もまたそのような考え方に近いことに気付きました。
死について話すことは“生きる”ことについて話すものなのかもしれません。変に死を美化することなく、そして無味乾燥したような淡々とした受け入れ方でもない、生や死に対する捉え方(表現できないニュアンスに出会うと言葉の難しさや万能ではないことを痛感します)をしたいなぁと思いました。
Commented by totoatsuko at 2009-06-11 10:17
「死について話すことは“生きる”ことについて話す」
同感です。

苦味に満ちたものであるか、家族と打ち解けた密度のこいものか、あっけないものか、それは自分では決められない要素もあり、「人間死ぬ時は死ぬ」んだけど、本人やそのまわりの人の心の持ちようや、関係の在り方で、人生の最後の辺りの色合いーそして残された人の残りの人生の模様がより満たされたものに、より望む形に変わることがあるんじゃないかと思います。
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