草食 vs 肉食
例えば、人間を国ごとに分ければ、日本人、韓国人、アメリカ人・・・となるし、感情の面からわければ、怒ってる人、泣いてる人、笑っている人、となる。前者の場合、感情という要素は考慮されておらず、後者の場合、国籍という要素は入っていない。一つのものを形容するのに、ほんとに色んな視点があり、どの視点から形容するのか、というので、形容する人の先入観や哲学みたいなのも垣間見れる。
先の投稿でかいた、相撲大会 草食男子・ダブル優勝。
自分の親や友達に、きいてきいてー、と、子どもを誇らしく思う気持ちを話していると、
ダブル優勝じたいは別に大したことないけど、(マクロビオティックやって)お肉食べないと成長に悪いとか、かわいそうな食事をさせてる、とか言われることがふだんよくあるから、「草食が肉食を倒したんだぜ、ほらみろ」、って誇らしいんでしょう
という人がいて、目をぱちくりさせてしまった。
(そうじゃないんだよー、というのは幸い話して分かってもらえました)
ぜんぜん、草食 対 肉食っていう視点で見てなかったから。ただただ親バカな喜びを味わっていたから。
私はマクロビオティックだけど、
マクロビアン vs 非マクロビアン とか
ベジタリアン vs マクロビアン とか
肉食 vs マクロビアン
という対立構図で見たことはなかった。
(マクロビアンの中にも、こういう対立構造の視点を持っている人は沢山いると思う)
お肉を食べる人であろうと、そうでなかろうと、自分がおいしいと思うものを食べる私達、というくくりで自分と周りの人を捕らえている。例えてみれば、イタリアンを好むひと&チャイニーズを好む人、という嗜好の違う人たちがいる、というイメージで、彼らは対立しないし、敵対心も、相手の好みに対して批判的な気持ちも持たない。
なのに、どうしてマクロビオティックだと、そういう反応になってしまうのだろう?
家族や学校の先生などにものすごく批判をされた、あなたは間違っている、と言われた、
というのをよく聞くし、私も言われる。
ある日、手巻きでホームパーティーするよー、と招待された。
手巻きやる、っていうのに私マクロビです、ってノコノコ顔出すのは招待してくれた人に失礼だ、という人もいたので、うわー・そんな考える方する人もいるのね、知らなかった、勉強・勉強と思いつつ、ホストはそういう人ではないのを知っていたので、気兼ねなく参加。失礼なことをするな、といった人の頭には、手巻き=魚only、私は食べるのボイコットで肉食を暗に批判、という絵があったから、と話してみたら分かりました。
実際は、他のゲストも、マクロビであることを取り立ててほめるわけでも、目くじらたてることもなく、かといって、腫れ物にさわるように私が選ぶ巻物の具に反応するでもなく、ごく普通に、ホームパーティーという場と食事(魚以外だって手巻きにつき物のおいしい具はいっぱいあるのですもの) を楽しむゲストの一員として時間をすごせたのが、とても嬉しかった。
最近は、マクロというと、すごーい!!! って言う人と、 ああ宗教みたいなやつ? とか 食事制限がきついやつ? っていう両極端な反応を受けます。私にはマクロビオティックだからって、それが素晴らしいわけでもなんでもなく、一つの食や生きるのスタイル・哲学であるだけだと思っているので、欧米やベジタリアンが沢山いる国で受けるような反応を日本で受けることができて嬉しかったです。
日本でも、
マクロビアン vs ベジタリアン vs 肉食、という対立構造ではなく
例えばイタリア人と中国人と日本人が同じテーブルで集うように、
マクロビアン& ベジタリアン & 肉食 が、お互いのidentityや哲学をrespect/尊重しながら、自然な感じで食卓を囲めたら、と切に切に思う。

日本にいると、そもそも「好きなものを食べる」っていうのがイコールわがまま、という考え方が根深いなってよく感じます。好きなものを選んで食べるというのは日本だと受け入れられがたいことがまだまだ多いですよね…。
私はもうずっとお肉が苦手で、特に高校に入った頃くらいからは全然牛肉と豚肉が食べられなかったので、食べたら気持ち悪くて吐くから食べないんだと言っても、それでも信じてもらえず、「わがまま言ってないで食べなさい」って言われることさえありました(苦笑)
おもてなしの感覚がもともと違うというか、「お客様に失礼のないように、“ちゃんとした”料理を用意する/“ちゃんとした”ものを用意してくださった気持ちに対して失礼にならないように出されたものは全部食べる」という日本のおもてなしと、「いろいろ用意しておいて、その中から好きなものを食べてもらう/その場にあるものから好きなものを食べる」のがおもてなしの欧米と。「個人の尊重」が意味するものが違う、というか。
ぜひまたクッキーつくりに行きたいです♪