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奇跡のりんご ・ 奇跡の生き様

NHK プロフェッショナル 仕事の流儀でも特集され、もベストセラーになっている
木村さんの 数十年におよぶ 無農薬りんご を栽培するに至る壮絶な道のり。

基本的に、りんご農家の仕事は、いかに数十種類の農薬を上手に使い分けて出荷されるまでりんごを害虫から守るか、ということらしい。要は、巷に出回っているほとんどのりんごは、超高級ブランドりんごであっても、そうとうな農薬をかぶりながら育ったものということだ。

しかし、無農薬りんご栽培、というのは、木村さんによると人間が何も食べずに生きていくという位、不可能なことらしい。でも、彼はあきらめなかった、ド貧乏になって絶望の淵に追いやられようとも、どんなに批判的な目にさらされようと、彼は自分の信念を棄てなかった。

蛇足だけれど、キリスト教のストーリー、アダムとイブで、蛇にそそのかされて食べたりんご(それゆえ二人は人間界に追放される)は、時代がらきっと無農薬だったに違いない。

そうやって、木村さんという一人の人生の壮絶な数十年がつぎこまれて、
無農薬りんご は誕生した。
そのりんごは、腐らない。
そのりんごは 今 都内の有名レストランで ものすごく高い値段で興されているらしい。

自然体で生きることは時として凄く難しい。
無農薬でりんごが育つこと位。

人工的なものを使わずに育つこと、生きること。
今の私たちにとって、人口添加物が入っていないものだけ食べて生きるなんて奇跡に近い。

木村さんのように、なんでそんな無農薬(人口添加物排除)にこだわるのか?
無駄な努力・意味無いこだわり、そしてはた迷惑、と疎まれる。

農薬りんご、無農薬りんご - どちらもりんご。
農薬りんごの方が美味しい場合もあるだろう。
(私は無農薬りんごを食べたことも見たこともないのだが) 一人の人間の人生を投入されてやーーっと生まれ育った無農薬りんごと、農薬りんごを見分けられる人は少ないだろう。

人口添加物が入っている食材やホルモン剤などが入った飼料を食べて育った動物達を日々摂取している人と、そうでない人も、見た目が凄く違うわけでもなく、どちらが豊かな人生を送っているかは客観的にはわからない。

世間話をしていたら、誰だって農薬は使ってないほうがいいよね、って言うに決まってるけど、もし無農薬のものが農薬付のものの倍以上の値段だったら、迷うと思う。無農薬栽培にかけられた手間に対する対価を払ってまで無農薬のものを選ぶかどうか。対価を払えないのなら、食べるのを諦めるか、食べる頻度を減らすか、農薬付のものを選ぶか。

スローライフとかエコがいいよね、って言うし、「それっぽい」商品やレストランは流行ったりしてるけど、トータルで自然なものだけで、環境にも配慮した人生を作っている人は凄く少ない。

どの選択も間違っていない。
どの選択をするかが、その人の生き様。

りんごだけじゃない。
今、スーパーでは自然に育った動物(のお肉)や、添加物(白いパウダー・薬品)をつかっていないお惣菜や加工食品はめったに置いていない。凄く沢山の種類の食材がならんでいて豊かさの象徴みたいだけど、私にとっては真反対で、買いたいものが無いお店。
残念だけど。
そして不便だけど。
だって、時間や料理するエネルギーがない時、ちょこっと白いパウダー入りのお惣菜を買って食べる、というチョイスがない。内臓・特に排毒をつかさどる腎臓に負担をかける人工添加物は理屈として避けたいし、感覚的に美味しいと思わないことが多いから。

そういう時は、食卓が凄くシンプルになる。
ご飯と常備菜(一週間くらい冷蔵庫でもつ)、ふりかけ、とか。
でも、そのシンプルさに、自然なもので時間をかけて気持をこめて調理した食材に
私の心と体は満たされる。

マクロビオティックな調理は
ホルモン剤を食べて育った手ごろ価格のお肉やお魚を使って一皿ささっとつくるよりちょっと手がかかる。なので、マクロビな調理をする余裕がない時は、料理せずにあるものを食べて空腹と心を満たすのが今の私に合っている。

たまに、修行僧のような食事だね、と言われたりする。
その人の言う修行僧の食事のメニューは知らないが、私が知っているのは例えば、玄米ご飯と味噌汁と胡麻豆腐。それに比べたら、ウチのシンプルバージョン食卓もバラエティーに富んでる、って張り合うのは意味無いが・・・ 

食も人生もチョイスが沢山ある=豊か とは一概に言えない。

何が豊かな食生活かは、凄く主観的なもの。
薬品が沢山入っていても、色んな味があって、着色料によってカラフルな食なのか、
無農薬りんごのように、沢山も、色んな種類もつくれないけど、それ自体が自分の力で生きているそれそのものの生き様が味に反映されている食材なのか。

どんな生き方が豊かでそうでないかも同じ。
木村さんみたいに、まわりのりんご農家に異端児として疎まれ、さげすまれ、批判の的になり、自分の生き方まで否定されて自信喪失まで追い込まれてもなお、自分の信じる生き方にこだわって生きるのか、
そんな面倒くさい周りから変な目でみられるような事を考えたり、実行するのは避けて、時代の流れに身を任せてトレンディーに生きるか。

どっちも間違ってない。
口で言うのは簡単で、誰だって、人の生き方は人の数だけある、って言う。
メディアで取り上げられて有名になったら、木村さん・凄い、ってそろって評価する。
けど、木村さんが試行錯誤している時に個人的なかかわりをもった人は批判的な感情をもつ人がほとんどだった。

私は心から、どんな生き方も間違っていない、と思う。
というか、表面的なところだけ見ていい・悪い、と判断する対象ではない、と思う。
人の生き方は人の数だけある、そして、それは全て尊重されるに値する。
そう心の底から信じているからこそ、音楽心理療法士として、クライアントの心の深遠の旅・自分再発見と変容のプロセスをサポートすることが出来る。
by totoatsuko | 2009-01-11 22:20 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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