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おくりびと

おくりびと_d0065558_22393649.jpg おくりびと という映画を観た。いっぱい泣いた、笑った。

亡くなった人の体を棺に入れる専門職・納棺士たちが主人公。
亡き人の着せ替えをし、旅立ちのための最後のお化粧を施す。
昔は、家族がやっていた事らしいけど、最近は葬儀屋さんや納棺士がやるようになってきているらしい。

納棺の仕事を知らない人は、そんな仕事をしている人を可哀想、あるいは けがらわしい、とさえ思う。仕事をやっている本人ですら、そう思っていて、自分の仕事にプライドを持てない人もいる。

でも、映画をみたら分かる。
彼らがどんなに重要な仕事をしているか。
お葬式をする前の、大事な大事な故人との別れの儀式。

映画では、納棺士が遭遇する様々な故人と家族の別れのシーンを垣間見る。
ぐれた娘が彼氏と遊んでる最中に亡くなる。母親は、茶髪の娘の姿を、彼女が死んでもなお受け入れられない。自分の娘はこんなはずじゃない、と泣き崩れる。暴走族っぽい彼氏は、あんたがちゃんと構ってやらなかったから彼女は寂しかったんだ、と納棺士の前・葬式の準備をしている時に叫ぶ。

わだかまりのあった母親が突然亡くなって、母親が親しくしていた人から、母親が息子には話さなかった胸の内を聞いて息子は泣き崩れる。かぁちゃん、生きている時にちゃんと気持ちをうけとめてあげられなくてゴメン、って。

子供の頃自分と母親を捨てて女と失踪した父親の死が突然知らされ、遺体の引き取りにいく事になる。父親との数少ない思い出と、思い出せない父親の顔、母親と自分を捨てたことに対する怒り。そんなものが、納棺の儀式を通して色合いを変えていく。

死を意識したら、もっと生を大切に出来る、なんてよく聞くフレーズ。
そんなこと言われたって、実感する出来事が起こらないと、心に響かない。

映画を観て私は、生を大切にする、というよりは、自分にとってどちらかが死ぬまで続けていきたい、と思っている人との関係(例えば、家族、友達)を、大事に積み重ねていきたい、と思った。人間関係は、生き物だから、どちらかが肉体の死を迎えなくても、予定外・予想外の事情で心理的に、あるいは肉体的に別れる・距離を置く方向に進む・発展せざるをえないといけないこともある。

そういう選択が、自分のそして愛する相手の人生をより豊かにするものなら、それはそれでいい、というかその方がいいと思う。すくなくとも、今一生繋がりを持って生きていきたい、と思っているとしても、それに固執する理由はない。

でも、少なくとも今の時点で、出来る限り長く人生をシェアしたい、思う人とは、
本当に大事に、正直に、素直に、その生きている関係を作っていきたい。
その関係をより豊かにし、お互いにとってenrichingなものにしていくための自分と相手の気持ちに対するcomittmentは惜しまないようにしたい、と思ったのでした。

関係を終わらせるのはいつでも出来る。
親子関係だって、恋人だって、夫婦だって。
勘当してしまえば、電話やe-mailに返事をしなければ、バットで殴り殺せば、
終わりにできる。(記憶からは抹殺できないけど)
でも、続けることによってでしか味わえない・構築できないもの、って沢山ある。
trust/love/history/elaborated.deep. complex tastes/etc.

続けることによって受ける自分の心理的ダメージが大きいなら、その関係を続ける意味はないだろう。でも相手が、その関係を育てることに協力的なら、相手と関係を育てていきたい、そのためには向かい合いたくないことにも向かいあおう、という点で最低限の合意ができるなら、やってみる価値がある。

私は、プライベートでの私の大事な人たちとどんな分かれ方をするのだろう?



そう、別れのプロセスって凄く大事。
それぞれのクライアントとはいつか必ず最後のセッションを迎える。
色んな最後のセッションがある。
色んな、最後のセッションに行きつくまでの最後のセッションを見据えたセッションがある。
最後のセッションを迎えようとしている、ということを無意識では感じ取っているけれど、それをセッションの中でプロセスせずに、突然消滅しまうクライアントもいる。

全て、クライアントの生き方が反映している。

だから、私は凄く大事にする、クライアントとのtermination processを。
勿論、私がどんなに大事だとおもっても、クライアントの協力がないと出来ないことなのだけど・・・
関係の終わりのプロセスをちゃんとやることによって、もう私と会わなくなったあとのクライアントの生き方に、大きな影響を与えうる。人生にセラピーのプロセスを例えるなら、、、
元気で活発でいろんなライフイベントが起こっているときだけでなく、壮年期・終末期も大事に生きることによって、その人生がより豊かになり、自分の肉体が死を迎えた後の自分自身の魂や周りの人の人生における自分の存在感も凄く豊かにも貧弱にもできるのだ。

お葬式よりも、もっともっと個人的な儀式(故人と最低限の家族or親しい人のみが関わる、という点で)をめぐる人間模様を おくりびと という形で感じたことは、自分の個人的ものから、クライアントとの関係まで、色々思いめぐらすきっかけになった。
by totoatsuko | 2008-11-09 23:02 | Comments(0)
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