肉食とベジタリアン

何年かぶりに再会する、今はお互い「母親」になっている人たちと会ったとき、子供の砂糖の入ったおやつの話になった。私は基本的になんちゃってマクロビオティックなをするようになったの、というと
「あー、最近よくきくよね、マクロビオティック。私もクラスとったことあるよ。
体によさそうだよね。
そうそう、よく持ち寄り子連れパーティーするんだけど、
その中の一人のお母さんがある日マクロを始めて、
お肉とかお砂糖の入ったお菓子とか、乳製品とか、ほらマクロでは摂らない食品が当たり前に持ち寄られる環境は耐えられない、って仲間から外れていった人がいるよ。」
という話を聞いて、日本だなあ、そのお母さんや他のグループのメンバー、
勿体ないことしてるなー、と思った。
第一、こんな感じで周りの人から孤立していくのって、マクロの哲学とは真反対。
マクロビオティックは「何を食べちゃいけない」というスタイルではないのに。
自分や他人をジャッジしたりレギュレートするのものはないのに。
マクロビオティックを中途半端に学んで、その限られた一部の情報を自分なりの解釈したものをマクロビオティックだと思っている人と接すると、中途半場に物事を学ぶこと・なんとなく分かった気になっている事の恐ろしさを改めて感じる。
(カウンセラーやセラピストの世界でも同じ事が言える。
多くの物事は、決して本を読むだけで、人とコミュニケーションなくしては、深く追求できないと感じる。)
生き方や価値観が違う者どうしが楽しい時間を共有できないのはとても残念なことだ。
マクロビオティックな生き方やそんな自分やおいしいマクロご飯を他の人に紹介できる場だし、マクロじゃない人も、自分とは違う生き方・価値観を持っている人の世界を垣間見ることが出来るチャンスなのに。
マクロビオティックやベジタリアンの人に対して、日本人は、
「勿体ないねー、美味しいもの沢山あるのに食べないなんて」って言う人が多い。
マクロを知らない時の私もそう思っていました。
でも、マクロビオティックの授業を受け続けて体系的に学び続けながら
日々なんちゃってマクロ
ーお肉が食べたいときは罪悪感なくお肉を楽しむ。砂糖の甘さが食べたいときは市販の見るも楽しいスイーツ買う。そした食べたときの体の反応を注意深く感じ取ろうとする。
をしていくなかで、だんだん体や心が欲するものが穀物中心になってきた。
大好きだったスイーツが、美味しいと思わない場合が多くなった。
食べた後気持ちが悪くなることが多くなった。
気持ちの上で凄い残念だなぁ、あんなに可愛くて美味しいお菓子が食べられないなんて、
って思ったけれど、体は喜んでる。
でも、やっぱりレストランのコースの最後に手の込んだスイーツを出されたりすると食べたくなって、思わずペロリンっと楽しんで、直後に気持ち悪くなって、というのを何度も繰り返して、ようやく気持ちと体が繋がって、出されるスイーツを食べられないことが残念ではなくなってきた。
自然体のマクロビオティックやベジタリアンの人って、我慢して特定のものを食べないのではなくて、例えばお肉を食べても「美味しい」と舌や体が感じないのだから、お肉を食べない選択=美味しいものを食べていない、という論理にならない、というのが自分の実体験を通してやっと理解できた感じ。
同じ価値観を共有したい傾向にある日本人には分かりにくい感覚かもしれません。
アメリカにいるとき、肉食中心の知り合いの男性と、ベジタリアンの女性が結婚しました。日本では、食の好みがここまで違うと、結婚のおおきな障害になりそうだと思いますが、全く違う食のスタイルの2人が同じテーブルを囲み、異なるものーお互いがお互いの食べているものが美味しいとは思えないーを食べながら、食を楽しみ、二人の時間や関係を築く、そういうかかわり方が自然に出来るのって、人との繋がりの幅を広げるし、大事だと思います。