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自傷行為の女性がモデル

写真界の芥川賞と呼ばれる木村伊兵衛写真賞を受賞した写真家・岡田敦氏は、自らモデル志願したリストカッターの女性たちを撮影して「Cord」 「I am」という写真集を出版している。

本の帯は「自傷行為をする恋人を助けられるか」と問うている。

ある20歳の女性は全裸で4時間フラッシュを浴び、「ありがとう」と涙を流して帰っていった、と記事にかかれている。

写真家は、「心をかきむしられる現実に目をそむけたくなかった」、とその製作の理由を語る。

私は、よくわからない、と思った。
何十回とリストカットをし、それを隠すために包帯でぐるぐるに巻いている。
洋服を剥ぎ取り、体に出来た傷をさらけだす。

それは、彼女達の新たな自傷行為に思えてならない。
作品のモデルになったことで彼女達が救われたとは思えない。
カメラマンによって、「心をかきむしられる現実」を受け止めてもらえる体験を彼女達がしたとも思えない。

「自傷行為をする恋人を助けられるか?」
大抵の人には「助けられる」訳がない。
そんなに浅い闇ではないのだ。
軽々しく誰かを「助ける」「助けてあげたい」なんていわないで欲しい。
出来もしないくせに。

傷口を誰かにさらすこと、
それは、例えばぱっかり割れた皮膚を冷たい風にさらすようなもの。
痛い・痛い・痛い・死ぬほど痛いはずなのだ。
血液がどんどん流れていって、気を失ってしまうほどなのだ。
でも、彼女達(女性に限らないが)は「痛みを感じる」ことでしか、生きていると感じられなくなってしまっている。自分を守る、とか自分が気持ちいい、というものは逆に危険で、常に自分が「死ぬほど」痛い、と感じていないと、生と死の境目にいないと生きていられない、そんな生き方をしている人に私は沢山出合った。

本人たちの日常作動している意識は、そういう崖っぷちの状況に自分で自分を追いやっている、という自覚がないけれど、サイコセラピー・音楽心理療法の中で対話を続けていると、ある日、自分の無意識に気付く。

痛くないと生きている実感がない。
でも「痛い」といちいち感じていたら生きていけないので、痛みは無意識層へ追いやる。
でも、意識は「痛み」を追い求める、生きている実感が欲しくて。
その繰り返し。

ヌードになり、自分の傷を全てさらけ出し、撮影が終わると「ありがとう」と涙を流した女性。
痛々しくて目をそらし、誰も自分の事をみてくれない世界に生きている中、自分を見てくれた・作品に残してくれる人が存在するのを感じて、涙が流れたのかもしれない。傷が訴えている自分の心の叫びを受け止めてもらえた、と感じたのかもしれない。

だが、あくまでも、カメラマンは彼女を「自傷行為をした人・自傷行為の生々しい傷を携える人」として捕らえている。傷とは関係ない、その女性そのものを撮っているのではない。もしかしたら、自分の傷をさらすことにより人の目を引く・という自傷行為をしたんだ、と撮影が終わって自分で気付き、その選択にさらに傷つく人もいたかもしれない。

この撮影のモデルになる、という体験を通して彼女達の心の傷はけっして癒されない。
「ありがとう」という涙が、決して言葉どおりのものではないかもしれない。

私はここでカメラマンや作品を批判したいのではなく、伝えたいのだ・彼女達が撮影を通して、あるいは自分の傷や、自傷行為の証拠が作品になることによって、心の闇・怒り・悲しみ・やるせなさ・絶望感の色合いが明るくはならないと。

カメラマンの意図「心をかきむしられる現実に目をそむけたくなかった」というのが、勇気ある・あるいは美しい姿勢だ、という見方しかできないのは浅はかだと。

自傷行為をする人の心を分かったふり、わかろうとした振りをするべきではない、彼らの代弁者になれるなんて恐れ多くも勘違いするものではない。





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by totoatsuko | 2008-05-08 08:55 | Comments(0)
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