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プロフェッショナルであろ生身の人間でありIII

プロフェッショナルであろ生身の人間でありIII_d0065558_1315189.jpg例えば医療スタッフが患者さんが退院・死後家族に手紙を書きたい、と思う。
プロフェッショナルとして関わりながら、生身の人間同士のパーソナルな「情」をもつのは自然なことだ。

しかし実際アクションを起こす前に、自分は医師・看護士というプロフェッショナルとして、この行動を通して患者さんに何をしようとしているのか見つめなくてはならない。自分のバウンダリーや患者さんとの関係の中での自分のアイデンティティーを考慮せず感情だけで動くと、患者側のバウンダリーの侵害をしてしまいかねない。

何故手紙を出したいと思っているのか?
手紙を出す目的は何なのか?
自分の思いを伝えたい、という気持ちだけが先立っていないか?
例えば、お母さんを励ます?必要ならヘルプしますよ、と伝えること?
手紙を出す事が自分たちが病院とは連絡が途絶えている相手のヘルプをプロフェッショナルに行なえる手段なのか?

医療スタッフが患者側に手紙を書くのは、
友達に手紙をかくのと全く意味合いが違う。

相手が本当に必要なヘルプを適切な時期に提供するためには、
相手の現状を把握しないことにはどうにもならない。
病院を離れて連絡が途絶え今どの様に暮しているのか分からない相手に手紙を書く、というのはとても危険なアクションだと思う。

例えるなら、調子悪そうな人を見て
その人の年齢や体重、病歴などを全く調べずに、
見た目だけを情報源にして適当な分量を投薬したり、手術を行なうようなもの。

直感は理論を越えることもあるが、
プロフェッショナルとしての介入を行なう時は、どちらか(直感 or 理論)だけに頼るのは望ましくないと私は思う。

プロフェッショナルであるがゆえの縛りはあるが、
医師だから、看護士だから、セラピストだから、病院のスタッフだからこそ家族や友人には出来ないサポートの仕方がある。自分たちのアイデンティティーを尊重しながら、自分たちにしか出来ないこれからの日本の医療体制・サポートの方法を考えていきたいと思う。
by totoatsuko | 2008-04-03 02:05 | Comments(1)
Commented by Candy at 2008-04-06 18:10 x
『病院スタッフだからこそ・・・できるサポートの仕方がある』 また、ときどき病院スタッフが、そのこどもが生きていた頃に関わった唯一の家族以外の人であることがある。アメリカのある学会で、こどもを亡くした家族からの声というものの中に「私たちのこどもはいつまでも心の中で生きています。病院スタッフが自分たちのこどものことを無視せず、存在していたということを大切にし、こどものことをスタッフと一緒に話せたことはとても重要だった、うれしかった。」というものがありました。私が知っているアメリカの病院ではMemorial Ceremonyがあり、多くの家族が参加していたそうです。毎年いらっしゃる家族もいれば、何年かしてからいらっしゃる家族、いらっしゃらない家族とそれぞれです。Ceremonyでは、家族とスタッフで何かを作ったりするアクティビティー、亡くなったこどもの名前を順に言うセレモニー、家族やきょうだいが思いをシェアーする時間などです。今の日本やその病院の家族に適した、家族が必要としていることは何でしょう?その病院スタッフができる、あるいは、すべきことは何でしょう?考えさせられる課題です。
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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