プロフェッショナルであり生身の人間でありI

4月になる明日からは、子供達が新しい保育園に通うことになっていて、
週末は今まで通った保育園で卒園・進級・お別れ会が催されました。
よく出来た園での様子・子供達の成長を捉えた20分のビデオクリップも流され、
日本に帰国した暑い夏の入園日からのおよそ1年半を感慨深く振り返りました。
ほんとうに大事に大事に育ててもらったなぁ、と心から感謝。
そしてよく元気に育ってくれたなぁ、と。
人間が出来る根っこの部分に長時間関わる保母さんの仕事って、本当に尊くて、日本の将来を担っていると思いました。保母さんがいるから働き続けられるし、子供を産むことが出来る、という女性は少なくないはず。
話は変わりますが、
先週は、ケアに関わった子供が亡くなった後のお母さんとのかかわり方について看護士さんと話をする機会がありました。
患者さん(この場合子供)が退院してしまったら、病院のスタッフは基本的に患者さんと連絡をとる理由がない。それは業務内容に含まれていない。どんなに気にかけていても。
でも、何かしたいと思う。
お子さんを無くして落ち込んでいないか?
何かヘルプが必要でないか?
わたし達に励ますことが出来はしないか?
退院したからって、何もしないことに罪悪感すら覚える人もいる。
もっとーしてあげればよかったんじゃないか、って振り返って思うことをお母さんや家族に伝えたい、と思ったりもする。
・・・・・
病院では医師・看護婦、という病気のケアのプロフェッショナルとして患者さんと関わる。
そこに、どんなパーソナルな感情交流があろうとも、どんなにパーソナルな信愛感がうまれようとも、「ケアのプロフェッショナルと患者」という枠・あるいはバウンダリー・境界線が前提にある。
患者さんと病気の治療以外の理由で連絡をとる、ということは、このプロフェッショナルな関係から一歩はみ出る、あるいは典型的なプロフェッショナルな関係の形を変容させている、と言える。こう言い放つと、何だか冷たい感じがするけれど、まずこれが基本的な事実。これを否定したら、お互いの境界を無意識の内に侵害してしまって、いい関係は築けない。
誤解しやすいのは、このバウンダリーがあったら、親密な信頼関係が築けないんじゃないか、という懸念。そんなことはない。お互いのバウンダリーを尊重するからこそ、いい関係が築いていける。
書き始めると、このテーマ長くなりそうな予感。
ちょっと時間切れなので、続きはまた後日。
by totoatsuko
| 2008-03-31 10:40
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