殺される牛の感情と肉体の話

これからと殺される予定の牛達が集められた空間の空気を凝縮して出来た一滴の雫を人が飲むと、死んでしまう。何故なら、その一滴には、牛達の死への恐怖や殺す人間に対する怒りややるせなさなどが凝縮されているから。
勿論、食肉製品となった彼らの肉体にも、その感情はしみついている。
XXXX
ここでベジタリアンを推奨するつもりは全くないので誤解しないでいただきたいのですが、、、
上の話を聞いて、その一滴を飲んだら死んでしまうというのが本当かどうかは別にしても、その空間の殺伐とした情景、牛の感情で満たされた空気みたいなのはリアルに想像できて、日常みている店頭のお肉の情景に繋がったのでした。
そういう彼らの肉体をいただくということは、そういう負のエネルギーも一緒にとりこんでいるんでしょうね、たぶん。
と殺場の空気はアウシュビッツのガス部屋の空気に共通するものがあるのだろうと。
あの場に閉じ込められた人たちの感情は、想像を絶する。
アメリカにいた時、と殺現場の映像をみたらお肉が食べられなくなってベジタリアンになった、という人に何人か出会いましたが、わたし達って、知らないから出来ていること、って沢山あるなぁ、と思います。
このエントリーを拝読して、父が子どもの頃(高校かそれ以前)にと殺を経験したことがあるということをいつか話していたのを思い出しました。最初の一刀が大切だそうで、牛が苦しまないように、最大限の尊重を払って最初の一刀に集中するということを言っていました。牛だけでなく、飼っていた鶏や豚も、子どもの頃から自分で殺してさばいて食べていたそうです。それが当時、生きる、ということにつながっていたみたいで。母は、買っていた豚がいずれ殺され食べられるのかと思うとかわいそうで、「出してくれ」って言っているように聞こえて、一度豚を逃がそうとしたことがあったそうですが、母の母にこっぴどく怒られたと言っていました。そうした話を聞くまで、私もと殺という概念が自分の日常にのぼったことはなかったのですが、そして、ここしばらく忘れていたのですが、この日記を読んで思い出しました。同じ経験でも、その経験がその人にとって意味するものというのは、本人の心のあり方、そのときの環境、状況によって大きく左右されますね。

友人のブログなんかにもちらほらお雛様を飾った写真が出始め、そんな季節なんだなぁと懐かしく思っていたところでした。ひな壇のポストカードを持ってきてあるので、インターン先の子どもたちに見せようかと思っているところです。日本はだんだんと春めいているのですね。
本ですが、アメリカでも日本でも内容の濃さから話題になった本のようで、ご存知かもしれませんが、『Trauma and Recovery』 by Judith Hermanです。日本ですと、『心的外傷と回復』というタイトルで、中井久夫先生が翻訳されて、みすず書房から出版されています。