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精神疾患と音楽療法II

精神疾患と音楽療法II_d0065558_23315167.jpg躁鬱病と診断されている人で、躁と鬱の間にいる状態の人が相手の場合、
色で自分の状態を書いてもらい、それについて話すことで、自分が今どういう状態なのか?躁、あるいは鬱に向っている状態なのか、というのを把握する手助けをします。躁のエピソードに突入してしまったら、そうやって落ち着いたプロセスを行なうことは難しいけれど、そっちに触れる前に自己予防的な機能をセッションが果たすことはできます。鬱の時は、セラピストとの信頼関係や、セッションでフォーカスするポジティブな要素や、自分を責める悪循環的な思考が、いかに現実的ではないか、いかに「病気」による作用なのか、というのを捉えることで、日々を繋げていく励みとなりえます。でも、鬱真っ只中には、そう簡単には機能しないです。話すのもやっと、絵を描くなんてとんでもない、という状態でもありえますから。

躁鬱病の場合、いつどんな風に、どれくらい躁や鬱にふれてしまうかコントロールできないので、音楽は非常に注意深く使います。音は跳ね返ってくるから、思わずすごい刺激を心に与えてしまうことがある。リラクゼーションのつもりで作った音が、寝た子を叩き起こしてしまうかもしれないです。むしろ、音楽や色を使わない方がいい、使うメリットがない場合もあります。

また、鬱の状態の人は、自分の内面と対峙する心の体力がない状態の場合も多いので、言葉では表せない魔力を持っている音楽を使うと、また鬱を引き起こしている心の闇に不可抗力でクライアントが引き込まれてしまう場合もあります。そういう危険性を十分承知し、とてもケアフルに音楽(悲しみについて限られた楽器で即興するとか、ごく短い音楽を聞きながらイメージするとか)を使っても、100%セラピストは音楽とクライアントの関係の行方を制御できないので、本当に慎重になる。

音楽療法士だから、どういう相手に対しても音楽を使う、音楽を使わないとクライアントの必要なニーズに答えられない、というのは間違った理解。わたし達は音楽をセラピーの手段として専門的に使えるように訓練されているだけで、相手にとって音楽が障害なら、当たり前のことだけど、使わない。

上記の理由から、統合失調症、躁鬱病、鬱病、境界線人格障害のために音楽療法が出来ることはありますが、重度の場合は、あまり色々できない。サポーティブを超えたリコンストラクティブ(心と体の状態を初期設定化したり、自分に付随した物を取り払うするプロセス・平行して新たな自分のあり方を模索する事を可能にするプロセス)なプロセスをするには、心の体力・持久力・バランスがあまりにも壊れやすすぎる状態だから。

だから、例えばわたし達が文化的なもの(展覧会、コンサート)に触れ、心をリフレッシュさせたり、ちょっとした自分についての気付きや衝撃(あくまでも自分がその衝撃に押しつぶされない程度の衝撃・発見)を受けとめる体験をセッションで行なう。重度の精神疾患と共存している人にとっては、自分自身でコンサートに行くことが出来ない人も多いから。

わたし達にとっては何気ない、ある意味日常に組み込まれることが出来る例えば「コンサートで心が浄化される」体験。でも「感動する」ために必要な心の容量や体力がない人にとっては、セッションにおいてそういう体験が出来る、というのはその方に人生に・心と体の状態に非常に大きな意味を落とすのです。

そして、重い精神疾患と共存する心にそのような体験をしてもらうには、歌のお姉さんのように楽しく歌を歌っているだけでは、決して出来ない事。専門家がクライアントと自分自身に真正面から向かいあってこそ、そういう奇跡(専門家がいなかったらきっと発生しないであろう、という意味で)みたいなことが起こりうるのだと思います。
by totoatsuko | 2007-12-24 15:28 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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