相手を幸せには出来ない
なんて夢のないコメント -
全くおっしゃる通りなのですが、敢えてここでは今日のネタの材料に。
親との関係がテーマの投稿で「幸せの価値観は絶対値」と書いた。
幸せ(広義には他の感情ー悲しみも怒りも)の価値観ー幸せを感じる状況を誰かに任せることは不可能である。誰かにお膳立てしてもらって一生幸せ一杯には暮せない。だって、幸せを感じるのは自分でしょう?
例えば、結婚相手が自分の望むもの(お金?愛?物?)を全て叶えてくれたら?きっと何も言わなくても全て手に入る人生にあきあきしてしまうだろう。自分は一体誰?手足を動かさず他人によって穴を埋められ、作られ、流れていく人生が過ぎていく。
例えば、落ち込んだ時彼・彼女がいさえすれば元気になれる。でも、落ち込む自分もパートナーも常に成長、あるいは変化してる。いくら慰められても・慰めても、彼・彼女の声が自分の心に届かなくなる日が来る。自分を元気にしてくれるのが相手に期待する最大の事だったら、このメカニズムが機能しなくなったとき、相当腹がたつか、関係が行き詰るだろう。もうお互いの役目は終わったと。どんなに尽くされても喜べない心理。
どんなに親密な関係(親子、兄弟、親友、恋人、夫婦)でも、相手を全て知ることは出来ない。気づいていないかもしれないけれど、人間の心と体の状態は繊細に常に変化しているから。
私はそう信じているから、自分の大事な人に対して色々世話を細部までやいてあげて喜ばせようとするよりは、自分で幸せを勝ち取る・感じる、そしてそれを誰かと共有できる力をはぐくむサポートをしたいと思う。自分の小さな子供に対しても、「ああ、今この瞬間なんて幸せなんだろう」と感じられる心、どんな状況が自分は幸せって感じるんだろう・それを得るには何が必要なんだろう、って探す体力と思考力と忍耐力をはぐくんでやりたい。
きっとそのためには、すっごくしょっぱい(悲しい)体験をする必要があると思う。甘いもの以外の色んな味を食べてみないと、本当の甘い美味しさは理解できないと思うから。誰しも悲しい思いをしたくないから、そういう状況から逃げてしまいがち。悲しい気持ちを感じないようにしがち。でも、悲しい、と感じる事に対して恐怖を感じないような環境を作ってあげて、悲しいってどういうことか感じさせてやりたいと思う。
そのためには、私自身が自分の悲しみ(あるいは幸せである事)を感じることに対して違和感を持っていない状態である必要がある。
音楽心理療法の中でクライアントと接する時の私のポリシーも同じ。
クライアントが音やイメージや色で悲しみが出てきたとき、
「や、でも、ほら、他を考えてみたら、楽しいことって一杯ありませんか?」と一律的に励ますのではなくて、クライアント一人だけでは怖くて出来ない作業(悲しみを感じる)を、私と一緒に行なう。
私は、セッション中クライアントの感情を感じて涙を流す事もある。そういうのはセラピストとしてどうか?と賛否両論はあるけれど、私は溢れる涙を抑えないことにしている。だって心が痛くて悲しいのだもの。でも、友達の話を聞いて共感して泣いたり、自分の悲しい出来事を話しながら泣くのとは全く違う。セラピストとしてギリギリのところまでクライアントに近づいている半分の自分が涙を流しているが、残り半分の自分は泣いている自分・目の前にいるクライアントを冷静に観察しプロフェッショナルとしての役割を遂行する。
誰かに幸せにしてもらうことは決して出来ない。
xxがないと、OOさんがいないと幸せになれないなんて、、、xxやooさんに人生を依存し、コントロールされているようなものだ。
幸せだと感じられる毎日を自分で作っていくことは出来ると私は信じている。(それは、幸せ感を誰とも共有しない、とう事ではない。)
そうであれるほうが、よっぽど毎日の心が人生が安定し、これは自分の人生だ、自分の喜びだ、と実感しながら日々を送ることが出来る。

一人では得られない幸せがそこにあります。
多分、一人で暮らしているより、ずっと、幸せです。それは、与えられている幸せと思います。

そんな父と話していて、今の若者よりも彼の方がよっぽど純真である事に共に驚き、会話を楽しみました。距離という意味では確かにありましたが、基本的な環境は両親が用意してくれ、私というソフトは確立していった。そんなことを改めて実感しました。
ホームレスについて言えば8年前に沖縄で、彼らと共に生活してみたことがあります。私と会った、彼らは自分に大きな失敗談があることを承知で、生きることだけを考えています。自分がそれをやると案外気楽です。まあ、だから端から見ると可愛そうだけど、教会にご飯をご馳走になったり、何もすることなく時間を過ごしたり、楽しいですよ。能力のある人にとっては苦痛かもしれませんが・・(起業して失敗した時の事を当時は考え最悪の状況をまず試してみました)

笑顔にすること真剣に悩みました。すると、幸せも笑顔もその個人がするしか確かに方法はありません。そしてどちらも案外多くの方はすでに笑顔になる、そして幸せである現状を持っているのにかかわらず、それを知らない事が多いのです。正直、アフリカなどの貧しい子供達に比べ私たちはなんて幸せなのか・・知るべきだと思います。それは・・例え年収が300万円しかなく一日15時間以上働いている人こそ多くの協力をおしまなければ・・幸運はその人の元にくるのは、2000年以上ある宗教史が教えてくれます。

今も娘に抱きしめられ、とても気持ちよいです。・・でもいつか親である私に対し・・価値観が合わないという話がでるかもしれません。年代による差と、変わらない何かの両方を大切に、お互いに勉強することでより楽しく同じ時間を過ごしたいものです。
心から幸せだと「感じられる」、そして自然と笑顔になる - そう出来るのも自分が自分の幸せを感じられるからだと思います。
わたしは・さん、Kawataさん、コメントありがとうございました。
