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クライアントー日米の差?

クライアントー日米の差?_d0065558_10214462.jpg「価値観が違っても、その違いをお互いが認め相手を「尊重・尊敬」出来れば、必ず心の深いところで繋がれるし、とても強い絆が築けるはずだ。」

と前回の投稿の最後に書いていて、ニューヨークでアメリカ人相手につたない英語で音楽療法セッションしている時の事を思い出した。

一言にアメリカ人といっても、NYは特に色んな人種=異なるバックグラウンド・宗教、母国語、文化 がいる。彼らは相手が純粋なアメリカ人でなくても普通に接してくれた。というか、相手だって純粋なアメリカ人ではない場合も多かった。勿論人種差別はアメリカでも存在するのだけど、少なくとも音楽療法士として接していた相手は、私を日本人だからとか、クリスチャンじゃないからとか、綺麗な英語を喋らないから、幼い(幼く見えるから)などという理由で、心を開かない人はいなかった。それが障害で深いつながりを築けなかった事もなかった。

私が提供する「セラピストとしての私」という存在と「音楽」にうながされるまま、自然に自分の過去を語り、悲しければ泣き、怒りをぶつけ、いかに自分にとってキリストが大事か、あるいはアラーの教えの尊さを説いた。

セッションにおいて、相手にとって私に「キリスト教って素晴らしい。あなたと同じクリスチャンになります」と言わせる事が重要なのではなくて、自分にとっていかに神が大事か、というのを聞いてもらう、話す事によって一緒に確認する、そのプロセスに意味があるのだ。

これは日本ではちょっと起こらないような現象だろうな、と思う。
日本語がスラスラではない知らない外国人が自分のベットサイドや家にやってこられても、ディフェンシブになるのがオチで、そう簡単に自分の事を話さないだろう。まず先入観として、この人は日本人じゃない(違うバックグラウンドの人間)から、こういう事説明しても理解出来ないだろうな、とか。日本人が、例えばかなり年下の日本語のつたないフィリピン人の音楽療法士や心理士にすぐに心を開いて話をしている姿を私は想像できない。

きっと、NY/Bostonで出会った人は、相手が自分と全く違って当然、というのが根底にあるから、私が彼らと全く違うバックグラウンドや外見でも、出会いのプロセスや関係を創っていく障害にならなかったんだろうと思う。
by totoatsuko | 2007-12-12 23:31 | Comments(5)
Commented by hiroshimamiho at 2007-12-13 19:37 x
これは面白い比較。つたない、アクセント丸出しの若いセラピスト相手に、よくぞ色々なプロセスをともに歩ませてくれたものだ。
でも、こんなことを考えながら、ふと気がついたのだけど、文化も言語も違う若者だからこそ、自分の抱えているものを話してくれたのかもしれない。
同じ人種で、同じ言語を話す同じ社会の人には話せないことでも、無知そうなよそ者には話したいこともあるなあ。。。。

そのギャップがまた、感情を刺激することもあるんだなあ、と思いました。
個人的にもアメリカでセラピーを経験した時と、日本のカウンセラーに話をした時とでは、感触が違った。良い面でも、悪い面でも。
Commented by totoatsuko at 2007-12-14 10:13
そうですね、日本人同士だと、たとえ頭で相手は自分と違う、と分かっていても、同じ文化や常識を共有してる・という先入観が存在してしまう。例えば、仮に私がレズビアンだとしたら、NYでは開けっぴろげに出来るけど、相手が日本で育った日本人だと躊躇する。私の知っている日本社会の常識から導くと、私がレズでも、その事実を偏見なくヘテロ(異性愛)と並列にみなしてくれるかは疑問だから。
でもhiroshimamihoさんの言うように、相手の文化バックグラウンドを知らなかったら、ブラックホールに投げこむように、相手から批判の反応が返ってくるかもしれない、と恐れずに内面を語ることが出来るのかもしれない。
でも、やっぱりセラピストとしての力量があったから相手が信頼してくれた、というのは根底にあったと思います。相手が本当にブラックホールだったら自分の存在自体が飲み込まれて無にされてしまうかもしれない恐怖が生まれると思いますから。
Commented by totoatsuko at 2007-12-14 13:52
思い出したのですが、NYでユング派のカウンセラーの卵(まだトレーニング中盤辺り)である韓国で生まれ育った韓国人(韓国では精神科医だったらしい)のユング派の言葉のセッションを受けていたときは、彼の先入観に苦しめられました。精神科医は精神科医としての機能に長けていますが、心理のトレーニングを受けていない限りちゃんとした心理療法は出来ません。(きちんとしたトレーニングなしで、本やセミナーなどからの知識で心理療法っぽいことをを行なっている精神科医の方もいらっしゃいますが。。。)
Commented by totoatsuko at 2007-12-14 13:55
自分と同じ、NYという異文化の土地で暮らす同じアジア文化を共有するクライアント、という感じで、割りと安易に「ああ、わかるわかる、その気持ち」とうなずかれたり、「それはわたし達Asianにとって共通の悩みだね」と言われると、白けてしまいました。わたし達、って言われて、私とあなた・違うから! と。私も当時学生だったので、どういうカウンタートランスファレンスが起こってるのか、という視点すら持っていなくて、セラピストの介入とはどうあるべきものなのか、というのが自分の中で確立してなかったから、随分彼には引っ掻き回されました。彼のいう事が正しいんだろうか?それとも、このズレ感は何なんだろう?こう言うのがセラピストとの関係のあるべき姿なのか?と。 途中から、クライアントとしてではなく、セラピストの卵として彼のセラピストとしての介入を観察し始め、とても勉強にはなりましたが、自分の内省プロセスには余計なエネルギーを浪費させられてしまった、と振り返って思います。
Commented at 2007-12-16 01:41
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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