セラピスト志望

それはそうでいいのだけど、
実際その分野の学生になったら、そのひと自身がセラピーを受ける必要がある事に気づき、自分と将来のクライアントのために行動を起こして(セラピーに行って)ほしいと思う。授業料だと思って。自分のためのセラピーに通うことにより、自分はセラピストという仕事は出来ない、と気づく、あるいは、セラピーで過去の傷をどうにかしてからでないとセラピストとしてはやつ堂できないことに気づくのは、その分野の学生として重要な学びだ。それに気づくのがいかに困難かであるか、という事実は、セラピーに行ったことがないセラピストが沢山存在していることに証明されるだろう。
自分の悲しい過去の体験を生かして、自分と似たような体験をした人をヘルプしたい、という理屈は分かる。そういう体験をした自分なら、相手の気持ちをよりわかってあげられる、という理屈も分かる。
でも、セラピーってそれだけでは出来ない。共感力は大事な要素だが、自分の過去をセラピーで向かい合った事がなければ、セラピストとして関わってもクライアントの過去と感情に飲み込まれ、クライアントと共に心の奈落に転がり落ちてしまうのがオチである。
心の深い部分を扱うセラピーを行なうのは誰でも出来るとは思わない。出来ないから自分に欠陥があるわけでも、出来るから凄いわけでもなく、他の仕事と同じように向き不向きがあり、それを見極めるのが、自分とクライアントのためにとても大事だと言いたい。
by totoatsuko
| 2007-11-25 23:12
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Comments(4)

共感です。セラピーに行ったことのなかった私にとって、アメリカでトレーニングのつもりで受けたセラピーは貴重な経験でした。
今思うと、あの時セラピーで心のかばんの中身を整理しなおしてなかったら、今この仕事をしていないような気がします。
担当の学生にも勧めていますが、なかなか適当なカウンセラーがいないのが現状のようです。残念です。
今思うと、あの時セラピーで心のかばんの中身を整理しなおしてなかったら、今この仕事をしていないような気がします。
担当の学生にも勧めていますが、なかなか適当なカウンセラーがいないのが現状のようです。残念です。
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セラピーに行くのって、色んな障害があると思います。セッションfee(代金)、セラピストのavailabilityー「通える距離」に「相性が合う」「信頼できる」人がいるかどうか?また、自分にあうセラピストを見つけるための情報はどこから得たらいいのか・等。
もう一つの大きな障害は自分自身。
様々な理由(忙しい・料金が思っているより高い・自分は必要ない・うさん臭い)をもっともらしくあげるが、それは自分と向かい合うことが怖くて無意識にセラピーを回避ーavoidance する自分。
もう一つの大きな障害は自分自身。
様々な理由(忙しい・料金が思っているより高い・自分は必要ない・うさん臭い)をもっともらしくあげるが、それは自分と向かい合うことが怖くて無意識にセラピーを回避ーavoidance する自分。
かく言う私も、最初の一歩を踏み出す(セラピーに行く)のに、いくつか背中を押される出会いや出来事を要しました。セラピーの体験がどんな物かって、口で説明しても・されてもやっぱり伝わりきらない。私にとっては自分の綺麗なところも汚い所も嫌でも何でも手に取りかみ砕いていくその時間はある意味生まれ変わるプロセスでした。家族や社会や自分のエゴや過去で変形してきた自分を客観的・主観的にみつめ、本来のありたい自分の姿を探す。気づいていない・あるいは無意識だが意図的に放置されている過去・現在に受けた傷の手当てをし、心の痛みを癒す。セラピーでプロセスされたことは、そのセッションが終わって何年後もふっっと戻ってきて、指針を与えてくれたり、勇気を与えてくれたりしています。

先日はコメントを返していただきありがとうございました。
セラピーに行くということ、私も本当に必要な体験だと思っています。自分を噛み砕いて知るというプロセスを体験するって、セラピストとしてクライアントに望むことでもありますし、セラピストになろうとする人がその体験を持つか持たないかというのはとても重要なことのように思います。
今の大学院では、必須ではなくてもほぼ必須のような形でセラピーに行くことを勧められています。でも日本で大学に通っていて臨床心理学の講義をとったときにはそういったことは言われなかったように記憶しています…。
カウンセリングやセラピーを学ぶうち自分には向いていないと気づいていった大学時代の友人もたくさんいますが、そうならずに突っ走ってしまう人もいますね・・・。
私も、自分のカウンセリング体験からいろいろのことを感じ取って、学び取っている最中です。こちらでは英語でカウンセリングしてもらっているので、そもそも英語が防衛的な働きをしていてカウンセリングを受けることへの抵抗が少なくなっているのですが、そういった体験も含めて興味深いなぁと思っています。
セラピーに行くということ、私も本当に必要な体験だと思っています。自分を噛み砕いて知るというプロセスを体験するって、セラピストとしてクライアントに望むことでもありますし、セラピストになろうとする人がその体験を持つか持たないかというのはとても重要なことのように思います。
今の大学院では、必須ではなくてもほぼ必須のような形でセラピーに行くことを勧められています。でも日本で大学に通っていて臨床心理学の講義をとったときにはそういったことは言われなかったように記憶しています…。
カウンセリングやセラピーを学ぶうち自分には向いていないと気づいていった大学時代の友人もたくさんいますが、そうならずに突っ走ってしまう人もいますね・・・。
私も、自分のカウンセリング体験からいろいろのことを感じ取って、学び取っている最中です。こちらでは英語でカウンセリングしてもらっているので、そもそも英語が防衛的な働きをしていてカウンセリングを受けることへの抵抗が少なくなっているのですが、そういった体験も含めて興味深いなぁと思っています。