深く関わらないと
深く関わらないと絶対に吸収できない層がある、というのは何にでもいえる事だなぁ、と改めて思う。人間関係にしても、習い事にしても。
私がそう実感したのは
ピアノを音大受験に向けて、そして音大生としてさらっていた時。プロとしての演奏を完成させるためには、譜面を追うだけでなく、譜面の行間を読み、自分が紡ぎだす音を顕微鏡で見るように細部にわたって耳をそばだて、自分が出したい音が実際ちゃんと出ているか確認する。細い細い繊細な糸を使って丁寧に織物を手で織っていくような作業。音の聞き方、聞こえ方がまるっきり違う。それは、楽しみとして弾いていては絶対に出会えない世界。
習い事って、いっちばん最初は楽しいけど、そうすぐには先生のように出来なくて停滞感を感じてやめてしまう人って多い。(余談ですが個人音楽療法セッションでもブレークスルーが起こるちょっと前辺りで、セッションに来る意味が見出せないと感じて・あるいは自分と向かい合うのが辛くなって来るのを辞められる方もいらっしゃる。)
あるいはクライアントとの関係。
私は占い師でも預言者でもないので、クライアントのイメージや書いた絵をみて、「ハイ、あなたは $%な状態ですね」とは絶対言えない。数時間ともに時間を過ごしたからって他人(専門家ですら)分かられるような人生を歩んでいる人は、だれ一人としていないと思う。ただ、回を重ねるごとに、点が繋がって、より包括的にクライアントの存在を知っていくことが出来る。
(もし、「読み取れる」超能力を持っていたとしても、クライアントの自分で自分をメンテナイイスしていく力をはぐくむサポートをするのが目的なら、こちらから読み取ったものを伝えるべきではないと思う。クライアントが「自分で発見していく力」をつける事が重要だから)
あるいは、パートナーや自分の子供との関係。
人間の心と体って常に変化しているから、表層で付き合っていたら、あっという間に見失ってしまってる。同じ屋根の下に住んでいても、だ。時に感情を曝しあわないと、絶対に知ることが出来ない相手の側面がどんどん増えていくし、進化している相手を発見する喜びを感じる機会を失ってしまう。
それは、自分自身にも言えることかもしれない。
自分の人生に深く関わっていないと、人生を見失ってしまう可能性があるし、本当は知り得た自分の持っている可能性やエネルギーや能力に気づかないままになってしまうのではないか。
深く関わるって、持久力のあるエネルギーの要ること。深く深く行く過程では、その都度停滞期や閉塞感を感じる時期があって、それを乗り越えないと、もう一歩深いところに踏み込めない。色んな事が割りと手軽に吸収できる感がある広く・浅くタイプ(こちらはフットワークの軽さとアンテナの鋭さが重要そう)とは、対極だと思いました。
私はゼネコンの職員という事もあり、自分は建築屋であると自称しています。その建築屋である私が色んな分野に興味を持ち始め、その業種のトップと言われる方々と話をし情報の交換をしています。
すると将来の顧客になろう彼らと、建築を作る側の論理に大きな差があるのです。建物を始めて作ろうとするときはあれも、これもと目移りするのだけど・・その意識がない段階だと本質はこうなんだと理解できるときがあります。
私にも妻と娘がいますが・・・感情って大きな役割を持っていることに日々驚きます。理系でずっとすごした私はロジック勝負をすることが多く、感情のコントロールって下手かもしれません。当プログで勉強できる部分がだから多いです。これからも応援しております。