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カウンセリング@代々木上原, New York & Hong Kong

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仮説は頭のうしろ

前回の投稿に続くものがあるのですが、
私はセッションをするとき、自分の知識や仮説は頭の後のほうにおいて、今自分の目の前に存在している方を知ろうとします。この人はどういう人で、どんな状態でいるのか?

言い換えれば、例えば、「癌患者さんだから、こんなニーズがあるはず (ex.気づいていない悲しみや怒りに押しつぶされそうになってるのではないか?不安なのではないか?)この人の場合、どれにあてはんまるんだろう?」という風に見ない。

例えば、今は季節の変わり目だから、それを感じられる曲を選ぼう、というのは、セラピストのニーズや先入観が前に出ているやり方。今その人にとって必要な事は、季節の移り変わりを感じることでない場合が多々あるのだから。

では、仮説を頭の後においてクライアントと接している時の思考回路はどうなるのか?
例えば、「季節の移り変わりを感じることがクライアントのニーズやセッションの目的に見合うかもしれない」というのは、膨大なチョイスの一つに過ぎないと自覚する。もしかしたら、そのテーマが相手に意味のあることかもしれないし、全くの的外れであるかもしれない、五分五分だと分かっているべきである。だから、相手を一人の未知の人として、知ろうとする。自分の意識を宇宙までオープンにするくらいのつもりで。どれくらい沢山の仮説が立てられるか、というのもセラピストの度量だとおもう。それは、逢うのが5回目であっても100回目であっても同じ。そのときその時で、相手の立っている場所は違う。ただ、知識として癌と診断されているとか、前回のセッションではこういう事を共有した、というのは持っている。それは、他の情報と繋げ最終的なセッションの方向性や具体的な介入を決定する時の有益な材料となるが、決して短絡的に個別の情報だけで結論を導かない。

鬱を持っているから、何歳だから、どこどこ出身だから、-の仕事をしているから、~な家族構成だから: 
~だから~が必要かもしれない、
という一つの状態にたいしての仮説の数は膨大で頭の後ろに存在している。クライアントと実際接しクライアントを知っていく課程で、その多量の仮説の中から当てはまると思われるものを直感的に、あるいは理論的に選んでいく。(ここに、セラピストの主観とカウンタートランスファレンスが交錯してくる)。頭の後に蓄積されている仮説の量は知識と経験によって豊かになり、そのセラピストにしか出来ない介入をするリソースとなる。

型をクッキー生地にはめてその形にするように、「診断名」という型からクライアントのニーズを分類し、「癌だからこういうニーズ」という様に判断していくのではない。目の前の人と話しながら、持っているアルミニウムをクネクネ変形させてその人に見合った型を、その時その時作っていこう、という意識がセラピストにとってはとても必要だと思う。あるいは、型を作らない、という選択をすることも。
by totoatsuko | 2007-10-26 06:21 | Comments(0)
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心理療法士のつれづれ ー音楽、アート、ユングの視点からの対話と変容


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