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自己満足セラピスト?

自己満足セラピスト?_d0065558_1071610.jpgNY, Bostonにいた時は、その地の病院 (メモリアル スローン ケータリング キャンサー センター、NY フォウンドリング ホスピタル、ハーバード メディカルのホスピス部門)で、音楽療法士として人と関わっていた。 日々学びながら、日々人の心に触れながら、そして自分の心と向かい合いながら、少しでもそこにいる人たちのために自分を生かしたいと思いながら。

でも、日本人である自分は、日本のために何かしたい、というのは常々あって、東京に1年半前腰を落ち着けてからは、どんな場所・形があるのだろう、と探っていた。

先日 「音楽療法」なるもの、WSなどで話はきいた事があるけれど、いまいち何なのかよく分からない、というお医者さんや、心理士さんに、
そちらの病院で音楽療法を「チーム医療の一員として」音楽心理療法士(私)を入らせてもらえませんか?という話をした。オマケとして雇われているのでは決して出来ない音楽療法士としての仕事がしたいから。

私は日本の病棟・医療環境については無知だし、そもそも病院という現場を離れて時間が経っているので、その分私の経験と現場のギャップは開いているだろうから、まず現場を見させていただく機会を持たせていただいて、そこから、私が持っている引き出しの何が使えるか一緒に考えてもらって、病院としてのサービスの質を上げることに貢献できたら、という気持ちでした。

質問された中の一つに、「音楽を捨てれますか?」(=音楽を使わず、患者さんやその家族と関係を作れますか?)というのがあって、音楽を使わないと、音楽療法士としてのアイデンティティーを確立できないと自任していると思われているのだろうか?と思い、「勿論捨てられます。」と答えました。

音楽療法士は、音楽をセッションの目的に応じて、沢山存在する音楽の要素(歌、テンポ、ダイナミックス、音程、等々)を意図的に選び、使うことが出来るように訓練された人。意味があるから音楽を使うのであって、何か演奏しなくては療法士として機能していないわけではありません。 例えば、静寂のなかにも音は存在し、それを気づかせてあげるのも音楽療法士だからことできる事と言えます。そして、基本は、患者さんのニーズに専門家として対応するのがわたし達の役目。

例えば、とっても優秀な腕のよい外科医が、切らなくてもいい腫瘍を切りたがるなんてバカバカしい話だ、というのと同じで、音楽療法士が自分のやりたい音楽を患者に押し付けているのはあまりにもレベルの低い話です。私は音楽を使って深層心理を扱い、サイコセラピーをする訓練を受けましたが、全ての人がサイコセラピーを受けるほうがよいと思っているのではなく、目の前の人にとって有益であると仮説を立て、それに相手も合意すれば、音楽心理療法ー音楽やアートをつかったサイコセラピーも出来ます、というスタンス。

お医者さんや臨床心理士さんの不安ー私がやりたいことを自己満足的にやってしまって、かきみだされるのではないかーというのはとても理解できるのですが、それがまず一番の憂いとして出てくる、というのは、自己満足的なセッションをやっているセラピストが過去に目についていたからなのだろうか、と思ったのでした。
by totoatsuko | 2007-10-25 10:02 | Comments(5)
Commented by くみ at 2007-10-25 13:09 x
いつも興味深く読ませていただいています(コメントは初めてです)。
私自身もセラピストと名のつく仕事に携わっていたので、書かれていることにとても納得しましたし、自分自身の臨床を振り返って反省したり...。
セラピストのやりたい、あるいはやれる訓練を患者さんに押し付けて自己満足に陥っているような状況は、残念ながら少なくないのが現状ではないかな…と思ってしまいました。
Commented by よしみ at 2007-10-26 07:39 x
音楽療法と聞いて、レクレーション的なものっていうのが世の中の音楽療法像みたいになってるよね。知名度がある程度上がったことはすごく、すごくうれしいけど、本当にその内容を理解してもらうのは時間がかかりそうだよね。
Commented by totoatsuko at 2007-10-26 11:57
くみさん、よしみちゃん、コメントありがとうございます。
自己満足でない仕事ができる職人セラピストが存在すること、セラピーはお遊びではなく、真剣勝負モノなのだ、というのを知ってもらうには、現場の一人一人がいい仕事をコツコツやっていくしかないのだろうなぁ、と思っています。
ああ、あと先日新聞記者に取材された時、日本の音楽療法の発展には何が必要だと思いますか?と聞かれ、セラピストの教育プログラム(大学であれ、専門学校であれ)で、インターン制度を徹底し、現場でいいスーパーバイザーに支え鍛えてもらうこと、だと答えました。
学生というまだ色々許される立場で、身も心も研ぎ澄まして臨床家として力をつける、ひいてはリサーチセッティングなんかも学ばせてもらえると、理論と実践どちらも学べて、物凄く成長できると思います。
そのためには、質のいいスーパーバイザー(経験あるセラピスト)を育てていかなくてはならないのですが、、、
Commented by miho at 2007-10-26 23:32 x
久しぶりのコメント。いつも読ませてもらってますよ。
「音楽を捨てられますか?」
この言葉がとても印象的です。捨てられる、と答えられる音楽療法士は日本にはあまりいないと思います。であったこともあまりない。残念ながら。
日本帰国4年。色んなお仕事をもらってこなしてきていますが、日本の施設が期待する音楽療法と、私が本当に一人のセラピスト(人間)としてやりたい音楽療法には大きな違いがあると感じてます。このままではいけないのに、、、、毎回の講義やセミナーで暑く音楽療法論を語る日々です。

でも、セッションの中で、「ここはゆずれない」と感じる時、静かにですがクライアントとチューニングしています。目には見えないかもしれないこと。

チームの一員として、音楽療法士の仕事ができるようになるよう、教育プログラムや実習の指導がより深く、意味深いものになるよう私なりにできることをこつこつとやっていくしかないですね。
Commented by totoatsuko at 2007-10-30 09:55
「音楽を捨てられますか?」 まだこの言葉の余韻は残っています。
きっと、わたし達が認識している「音楽」と、その人(あるいは世間の大多数)の「音楽」という言葉で表されるものには、大きなギャップがあるのだろうと思います。何か楽器を使って、’意図的’にフレーズを作るだけが音楽じゃない。その人の息遣い、何気ない指の動き、その人がそこに存在するだけで、その人の音楽は流れている。それは、セラピストにも言えること。私たちは楽器を演奏しなくても、音楽を発している。それは、暴力的かもしれないし、セラピューティックかもしれない。だから、クライアントの前に立つセラピストとして注意深く自分の存在(音楽)を見つめる。主観的に、そして出来るだけ客観的に。
わたし達が存在しているだけで流れているはずの音楽はゆるぎない。普通の意識では聞こえない分、意識的に作っていない分、表面的に弄ぶことはできない。レクリエーションとして関わっていては決して聞こえないようなエネルギーの音・魂の音。そんな音と音の出会いが音楽療法セッションの中で起こり発展していく。自己満足音楽をやっていては決して体験することが出来ないだろうと思う。
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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