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よかれ と思ってした結果

辛い思いを存分に体験する機会を与えてあげる(前回の記事参照)、というとなんだか虐待に聞こえなくもないけれど、、、それと私が言っている状況は根本的に違う。

虐待は、親が 本当は自分の心のブレが理由なのに気付かず、「子供がいう事を聞かない」と子供のせいにして、過剰に、病的に継続して子供を傷つけること。それは、親が自分自分の心に耳を傾けず自分自身で自分の心を虐待しているのを反映している。この意識されていない内的現象は、 「いう事を聞かない手がつけられない子供=手をつけられない自分の心」と見立てられて起こってる。

一方で、私が言っているのは、子供が生きていく上で自然に直面していく困難な状況にであったとき、すぐさま救いの手をさしのべ、困難をすぐさま除去しようとはしないけれど、
困難な状況で、子供が辛い思いをし、それを何とか乗り越えようとクリエーティブな解決策を見出す大変な課程に、目をそむけず 寄りそう、乗り越えるための精神的なサポートをしてやる、という事だ。

私のセラピストとしてとるクライアントに対するスタンスもこれと同じ。
クライアントが訴える困難を、外科医のように一様にすぐさま除去しようとはしない。(そういう応急処置が必要な場合もあるけれど。)そもそも、心の膿を他人が切開できるとは思っていない。心は人にそう簡単にコントロールできるものでは、
そもそも ない。
私は、クライアントと一緒にみてみることを促す、それはどういう困難なのか?
そして、待つ・ クライアントの内面からその困難とどう関わりたいか、というのが生まれてくるまで。そうしたら、その困難自体の性質が変わってきたり、クライアントの困難に対する見方が変わってきたりする。

先日ニュースで、
中年の男性が失業しているのを家族に言えず、70代の母親から毎月貰っているお小遣いの一部を月給として奥さんに渡していた。でも、”こんな世の中で子供達を生きていかすのはかわいそうだ”、と思い10代後半の自分の子供達と奥さんの食べ物に沢山の薬物を混ぜて無理心中を試みた。結果は、子供達だけ死亡。奥さんは、この事件が起こるまで、旦那が失業していたとは知らなかったらしい。子供達自身が、生きていくのが辛いと思っていたかは不明だ。父親の世界観が子供にも投影されて、子供に確認することもなく、「いまここで死ぬことが」がベストな「生き方」だと勝手に押し付けられてしまった。

お小遣いをあげ続けたこの男性の母親は、ムスコが失業して辛そうに悲しそうに困っているのを見るに忍びなかったのかもしれない。自分にお金の余裕があるなら、自分に出来ることがあるなら、やってやりたいと思ったのだろう。 お母さんからのお金のおかげで、この男性は1年は家族に嘘を通すことが出来た。当面 「失業したんだ」と家族に告白することで起こるであろう家族間の混乱や、自分に対する非難に直面しなくてもすんだ。

でも、結局自分自身には嘘はつけないし、こうやって家族と自分を殺すしかない と思うほど追い詰められてしまった。もし、この母親がお金を与えず、息子が「失業」した結果直面する困難を乗り越えるのを 「口も手も出さず、ただ 暖かく見守る、待つ」 事が出来たなら、こんな悲惨な事は起こらなかったと思う。言っておくが、それは簡単な事ではない。自分が愛する人が暗い顔をしているのに寄り添い、本人がその暗闇から絶対に自分で抜け出せる、と「強く信じて、何もせずに見守る」よりは、お金をあげて一時的な笑顔を見せてもらうほうがはるかに簡単で楽だ。

仕事がなくて、お金に困る、家族の中でのこれまで果たしてきた役割が果たせなくなる → この状況をどう乗り切るか?どう奥さんに子供に説明するか?協力してもらうか?どういう家族の形に変わっていく事を提案できるか? 生半可な状況でない分、このプロセスを乗り切るには相当なクリエーティビティーとエネルギーがいる。でも、それをお母さんの直接的な介入なくのりきることが出来たら、彼にとっても、家族にとっても プラスの転換を生むことが出来たはずなのだ。

このお母さんからの助けは、かりそめの光と希望を与えたけれど、
彼が人間として強くなる、クリエーティビティーを試す、自分の人生に起こったことに一人で対峙し、自分の手で人生を切り開いていく重大な機会を「奪って」しまったのだ。


愛する人が、あるいは 「自分自身」が困難な状況にいる時、「絶対に乗り切ることが出来る」と「信じて」そばに寄り添っていること。 本人が もうだめだ、と 自分が信じられなくても、自信を持って信じ続けて側にいつづけること。 これによって、本人の自分自身で乗り切る体力とクリエーティビティーははぐくまれる。それは、多くの助言やお金では決してもたらすことが出来ない、人生の宝が創造される過程である。
by totoatsuko | 2007-07-08 10:14 | Comments(5)
Commented at 2007-07-09 13:36 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2007-07-09 13:37 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by yuki at 2007-07-10 09:49 x
こんにちは。
70代母からの援助で失業をカモフラージュしていて、とうとう無理心中ですか。
痛ましい話ですが、現代の日本の一部を象徴しているような話でもありますね。
もしご存知なら、と思って書き込ませていただいたのですが、
高学歴なものの、一度就職した先が倒産した後、就労意欲がないままにアルバイトもせずニート状態で40代に入り、ずっと親の援助で暮らしてきた男性が、細々ながらアルバイトでも何でも、稼ぐことを始めた事例をご存知ですか?
もしご存知でしたら、機会があったら、どのようにして彼は社会復帰したのか、その復帰させるコツのようなものがあれば教えていただけるとありがたいです。
実際、atsukoさんが書き込まれているように、金銭的な支援の打ち切りを息子に言い渡し、自立させるというのは、お金を払うよりも面倒で疲れる作業でしょうし、それに老父母にしてみれば安価な介護労働力にも見えてくることもあって、余計にニート状態を助長するということも。
それにしても、atsukoさんの洞察力、それからそれを言葉にする力って、すごいなと思います。
いつも、読ませていただくたびに、目がひらかれるような気がしています。
Commented at 2007-07-11 11:42 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by totoatsuko at 2007-07-11 12:41
すいません、Yukiさんが提示された事例、知らないです。でも、その人が40代で自分の足で自分の人生を歩こうと思えるようになれてよかったなぁ、と思いました。死ぬ直前に、「結局いちども本当の意味で自分で自分の人生を作っていく喜び(と苦味)を味わわなかった」と気付いても手遅れでしょうから。。。
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