新国立美術館・スキン&ボーンズ

近年、建築物と洋服のデザインがお互い影響しはじめ、例えば建物でプリーツ(ひだひだ)を作ったり、シースルーにしてみたり。建築物と洋服、一見素材も役割もかけ離れているようで、両者がその共通点を見つけ進化していっている。
いってみれば、洋服は人間 個体の皮膚の上の皮(スキン)であり、建物はその建物に入っていく人間達の集合体としてのスキンといえる。何気なく毎朝・あるいは出かける先によって選んでいる、あるいは購入している洋服は、意識の上では特に考えていなくても、その人のその時の状態や主張が反映されているのだ。それは、どんな服を選んでいても言えること。ただ、この展示を見て、建築物を利用すること・選ぶこと・洋服をまとうことで、わたし達はこんなにも多くのこと(無意識であっても)語っているのだ、そして、語れるものだと気付かされて、とても衝撃的だった。
例えば、何も考えず特に特徴も主張も無いデザイン・色のシャツを選んだ日・人。集団の中に同化したいのかもしれないし、何も主張やスタイルを持っていないかもしれない。あるいは、強烈な意志やみなぎるエネルギーを無意識に感じている時、あえてDullなものを表皮(=自分を覆うもの)として選ぶことにより、自分の中のトゲトゲした、あるいはフツフツしているものと、環境・社会・人間関係の間にクッションとして機能させようとしているのかもしれない。
建築もしかり。その建物・建物が建っている土地を店舗として・住居として選ぶ人たちのアイデンティティーが、その建築物によって代表される。シャイニーでフラッシングな建物と平屋で年代物の建物(集合体の表皮)を選ぶ会社や人は、本質的に違うアイデンティティーを建物の外のものに対して表明しているといえるだろう。
特に哲学を持たずデザインされる「服」や「建物」ですら、デザイナーの無意識が反映されているのだから、この展示でみた、考え抜いてデザインされた建物や洋服。ディテール、素材、カットその存在だけで、何かを雄弁に主張してる。