ペルソナ:仮面と同化する危険性

仮面とは、わたし達が生きている上でその場に応じて着替え、作り上げ、廃棄するものである。今日は、それをもっと自分主体で選び、自由自在にとったりつけたりしてみないか、という提案。
例えば、会社員という仮面。母親・父親、長男、末っ子、社長、音楽家、政治家、医者。
医者は白衣をまとうことにより、患者を安心させることも服従させやすくも出来る。
ペルソナは、生きていく上で学び取った智恵を使って獲得した、自分の都合の良いもの、必要な物であったり、おかれた状況によって向こうから自分の顔に張り付いてくるものもある。
大事なのは、ペルソナは自分の表皮・表層に過ぎない事を忘れないことだ。
それぞれのペルソナの役割を演じているが、自分が望めばいつでもその仮面をとり、自分自身に戻れること。もし、ペルソナが自分自身だと信じこんでしまったら、自分自身の心は、24時間365日覆い続けている仮面によって窒息させられるだろう。ペルソナをつけていると、環境や人と実在的な心の通う関係を作ることはできない。あくまでも、例えば 夫ー妻、親ー子、社長ー社員 という域をこえられず 人間ー人間 という関係が築けないのだ。
例えば、とても尊敬され、慕われる先生 という仮面を持っているとしよう。
とても魅力的な仮面は四六時中つけていたいものである。
いつも人に求められ、評価され、経済的な見返りも高い。一方で常に人から魅力的に見えるよう、有能であると感じられるよう、高い報酬の契約を取れるよう、気を張っていなくてはならない。自分の信奉者が求めない・認めない姿には戻れない =例えば、鼻くそをほじくるにも誰かに見られていはしないかとビクビクしなくてはならないし、例えばだらしのない格好をしたり、ハメをはずすことも自分に許せない。その仮面をつける必要のない場所、例えば家族や友人の前、自分一人の時でさえはずせなくなっては、息苦しくてしかたがない。仮面をはずせば、ごくごく小さな、なんの変哲もない、特にスペシャルでもない人になれるのに、自分がスペシャルでなくなることが怖くなり、息抜きできる自分に戻ることができない - そして心と体が不調を訴え始める・神経症的になる。
何らかのペルソナを身に着けそれらしく振舞うためには、観客が必要で、
もし、自分がその観客になったことが無ければ、そのペルソナはすでにペルソナではなく、ただの呪縛である。
白衣を来て医者の顔をしていても、患者がいなければ医者として機能しない。
鳥の群れのカリスマティックなリーダーであっても、その群れ全体をつくる何千羽の個性のない一羽 一羽が存在しなければ、リーダーとして存在できないのである。そして、遠くから見れば、そのスペシャルな存在であるリーダーも、鳥の群れの一部としか認識されないのである。それでも、群れのリーダーであることにかわりはない反面、仮に自分がリーダーをやめても、群れは存在する。あなたがいなければ代わりのリーダーはいつでも現れるから、現役のリーダーとして群れの存続に責任を感じる必要は無い。(ただし、群れの性質は変わるだろう) だから恐れる必要はない、ペルソナを剥ぎ取る事を、他のものに付け替えることを。仮面をはいだ時、視野がひろがり、息が抜け、思い切り空気が吸える。
怖いかもしれない、仮面をはいだら自分の生きている環境の秩序が崩壊するかもしれない、と。母親業を放棄(母という仮面をとったら)したら?よい子供である振りをやめたら?モーレツサラリーマンであることをやめたら?品位公正な人物であることをやめたら?
大丈夫、それでも世界はまわりつづける。
それまでとは同じではないだろう。しかし、あなたが仮面を脱ぐことで、あなたの声色がかわり、装いも、顔つきも変わる。それらが、あなたの住む世界をよい方向に導くかもしれない。
音楽とアートを使う心理カウンセリング Guided Imagery and Music (GIM) session についてはコチラ
アメリカ発 幼児のための音楽教育 Music together @ 代々木上原クラス 無料体験 受付中。
マクロビおやつ付き。
by totoatsuko
| 2007-05-25 12:29
|
Comments(2)