マヤ・インディアンの詩

マヤ インディアンの詩
「お母さんは赤ちゃんを胸にしっかり抱きしめて、人間は信頼できる、世界は平和であることを教えなさい。お父さんは赤ちゃんを高い丘に連れて行き、高い高いをして、世界はいかに広いか、そしていかにすばらしいか教えなさい。」
そのためには、
母親自身が人間を自分自身を信頼し、
父親自身が世界はすばらしい、と心から信じていないと。
どんなに胸に抱いてやっても、高い高いをしてやっても、
赤ちゃんは信じていないものを伝えられている、と簡単に見抜くだろう。
小林氏いわく
「母親の行動は(ほんらい)なめらかな波であり、父親はぎざぎざした鋭い波といわれる。母親と父親はお互いに相補って赤ちゃんの心と体を育てていく」
過剰な役割をまかされストレスを抱えた母親が、どこまで滑らかな波をキープできるだろうか?仕事で疲れ家族といる時は虚勢されてしまっているような父親は、どれだけその鋭さを伝播できるだろうか?
人間を育て・育てられる「仕事」は、OnとOffがないアートワークのようだ。
人間を構成する全ての粒子がぶつかり合い、交じり合い、化学反応を起こし、分裂し、絶え間ない変化をとげていく。

現代の世の中では父親と母親の役割を明確化しない方向に進んでいるというか、「父親だから○○、母親だから△△」みたいな決め事はご法度のような風潮を感じたりします。
その辺はバランスというか、お互いが相補的に与えるものが変化しているということでしょうか。
まったくもって難しいもんです。

音楽療法に興味を持っていていつも読ませて頂いております
私の父はとても無口な人で、仕事では普通並に話すらしいですが、家に帰ると非常に静かです。最近、省エネしてるから、と面白い説明を本人から聞きましたが、自分の小さなときはそんな父が怖くて仕方ありませんでした。親が自分に対してどのように考えているのかわからなくて、親の期待を探っていたんですが、結局わからないまま大人になりました。そして、社会人になった今この夫婦の形を見ていると、母親は父親に多大な譲歩をして暮らしていてそれで夫婦うまくいっている。日本社会にはあたりさわりのないことなんですが、すごい発見をしました。うちは母親のほうが強靭だと思いますが、それも父あってこそなのかな、という思いがしたこの頃です。