みんな「変な人」
変だよね~、あの人・あの親子・あの家族・あの会社・あの上司・あの部下・あの先生・あの生徒・ウチの子・ウチの親。
でも、裏を返せば、そう言っている本人も誰かから「変な人」と言われている可能性が高い。
「変な人」という言葉をかみ砕いてみれば、自分とは違う価値観を持って生きている、自分とは違う生き方、考え方、感じ方をしている人、と言えるのではないか。そうならば、ひとりひとり 人間は違うから、どの人も「変な人」に当てはめられるのはあたりまえ。
普段は大抵自分と似たタイプの人間が集まるコミュニティーやグループ、家族に囲まれて生きているので自分の特異性が浮き彫りにされることも、自分の「変さ加減」を自分自身で実感することは日常ではあまりないが。
北 杜夫の「楡家の人々」ではどこにでもありそうな大家族の日常をユーモアたっぷりに書かれている。登場人物はどの人もアクが強くて、「変な人達」なのだけど、よく見渡せばこんな家族ごろごろまわりにいる。
自分の家族が普通と思えるのは他の家族の内情を知らないから、
自分が普通と思っていられるのも、自分と同じ種類の人間の数以上に自分と違う種類の人間が存在している事を知らないから。自分の価値観・視点がマイノリティーになってしまったことがないからともいえるか?
例えば、日本人社会のあるグループに属して自分はまわりに溶け込んでると、自分は変ではない、と思っている人。外国社会・文化からみたら、それに属してみたら、もっとも変な人とみなされる可能性がある。
自分を基準に物事をみていたら、それはそれは不可解なことが世の中一杯あるだろう。
自分で自分を「変」と思う瞬間だってあるかもしれない。
それは、自分自身を全て把握するのは不可能だから。
「変」って言われたって、自分がハッピーに生きれていればそっちの方がいい。
後世に名を残している人の多くは、当時狂人扱いされたり、見下されたりしている。
何もしないでも、人に合わせる努力をしても、どうせ誰かからに「変」って思われる自分なら、思いっきり自分の思うように生きたらいいと思う。人に何て言われるかビクビクしないで。どうせ私たち ひとりひとりは「変」なんだから、どうせ一人一人 唯一無二の存在なのだから。
子供が生まれてから、生活を維持するために社会人のルールで生きておりますが、そんな人が国民の殆どなのかなぁと考えてしまいます。
また、自分との会話をノートに書き綴ってみたり、自分の色や形をクレヨンで紙に映し出す試みをしてみるのもいいかもしれません、自分って誰なんだ?何をかんじているんだ?という所から始めるために。
Have a nice long weekend!