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あまやかされること

あまやかされること_d0065558_13174095.jpgあまやかす・あまやかされる、の双方行き違いの 一例。

あるお母さんは小学校高学年の娘に毎週新しい服を買ってあげていた。お母さんは娘を喜ばせてあげていると思っていた。娘の洋服を選ぶこと、買ってあげることに喜びを感じていたが、買い物にあまり乗り気でない娘の姿に気付いていなかった。ある日娘がうんざりして「服を買うお金があるなら本を買うお金を頂戴」と言ったから、お母さんは激怒した。自分の愛情をまっこう否定された気持ちになったから。

お母さんは気付いていなかった、洋服を買うことが娘のためではなく、自分が「何かを娘にやってあげている」という喜びを感じるためだったという事に。傍からみたら贅沢な話だ、毎週毎週新しい服を買ってもらえるなんて。母親は娘が自分の好意・行為をどう受け止めているのか本人に聞いてきちんと確かめてみよう、という発想はなかった。実際のところ、娘は母親の趣味で選ばれた服は好きではなかったし、服が欲しいとはこれっぽっちも思っていなくて、むしろ小説や母親が否定的な漫画を大量に買いたかった。

残念ながら
あまやかしてあげよう、と思ってやっていることが
あまやかしてくれている、と受け止められるとは限らない。


お互いが全く違う思いを感じながら洋服売り場を毎週毎週共に歩いていたなんて、想像すると滑稽な姿だけれど、こういう行き違いってよくある。相手のために、と信じてやっているがその相手は、相手がよいと思いこんでいる「手段」を与えられてうざったいとしか思えない。しかし、そういう風に感じている、とは伝えない。何故なら「折角やってくれているのだから」という相手への配慮があるから。その結果、相手は自分の特別な計らいが受け流されているのに気付かず、歓迎されていると自負し続ける。なんたる無駄。

真意を伝えると、衝突が生じるかもしれない。その関係が壊れてしまうかもしれない、と感じるかもしれない。でも、その関係が大事なものであればそれこそ本当のことを伝えるのをお勧めする。だって、自分がわざわざやってあげていることが実はそんなに喜ばれていないなんて、ちっとも嬉しくないでしょう?それなら、「えぇっ、いままでやり続けたことはホントはうざいと思われていたんだ、ショック。何でもっと早く教えてくれなかったの?(怒り)」という衝撃を乗り越えれば、相手が真に望むことに応えることにエネルギーを費やせる。その関係を成り立たせている成分を見つめなおす機会になる。

あまやかすのは、あまやかす側のエゴが大きく影響している。
それ自体、悪い事でもなんでもない。
相手を「今日は特別よ」と甘やかしてあげて、極上の笑顔をうけとる喜び。
それを求めてはいけない、とは決して言わない。

ただ、エゴが行き過ぎるととんでもない味の人間や自分との関係に育っていくのに加担してしまう。あまやかしのやり方、頻度によっては、精神的苦痛を与えているかもしれない。大事に育てているつもりで、本当の人間関係を築いていく体力を養う機会を奪ってているかもしれない。
by totoatsuko | 2007-04-24 13:13 | Comments(0)
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