自分にとって正しいこと
子どもの頃、
「自分が一番正しいと思ってたら、大間違いなんだからね。」
と大人にしかられたことがある。
その大人達がこうあるべき、こうしたほうがいい、と折角勧告してくれたのに私が言うとおりにしない上、はっきりと「私はそういう風にはやりたくない」と言っていたからだと思う。
私は、“私にとって”正しいと感じることを実行しようとしていただけで、大人たちが勧める選択肢を否定しているつもりは毛頭なかったし、「自分が一番正しい」なんて滅相もない。自分の考え方が万人の手本になるなんて、これっぽっちも思っていなかった。しかし、子どもからのそういう対応に慣れていなかったのか、大人たちは幼い私の態度に、自分達の価値観が否定されている、という印象を勝手に持ってしまった。きっと彼らの中には、「子どもは大人の言うことを100%聞くべき」という暗黙の了解がベースにあったと思うのだけど、それプラス、自分の価値観を子どもが従わなかった(私は、その選択肢自体は否定していない。繰り返しになるが、自分にとってしっくり来なかったから選ばなかっただけ)だけ。 それなのに、自分が非難されている錯覚に陥って私を諭しているのは、その大人に「人に何を言われようと、自分にとって正しいことは正しいと信じていい」という子どもの私がもっていた自分の選択に対する自負みたいなものを持っていなかったからだろうと、今振り返って思う。
「私はそうは思わない」というのは、
相手を否定している、ことではない。
相手が「そうだよね~」と相槌を打ってくれないからといって、
自分が否定されているわけではない。
ただ、お互いが違う価値観や視点を持っただけのことである。
自分が自分の経験や直感から「このやり方がいい」「こうするべき」と強く信じていることを他人に勧めても、同じ結果にはならない可能性が高い。だって、実行するのは自分ではないし、結果を受け止めるのも自分の心ではない。
日本は、協調性とか、和 を大事にする文化だから、
自分にとって正しいこと、がまわりの人達と違うと感じてもなかなか堂々と提示しにくい。
私が幼い頃体験したように、非難の矛先を向けられる危機感を感じるだけで、何のメリットも感じないかもしれない。
でも、皆がみんな 同じような選択をするとか、同じような思考回路を辿るとか、同じものを選ぶとか、よく考えてみると変ではないですか? ひとりひとり 全く違う人間なのに。
違いをクリアーにしても、お互い相手に対して否定的に・懐疑的にならない、
「あなたは そう思うんだ、へぇー!」と 新たな発見にワクワク出来るような、
そんな関係がより多くの日本人に出来るようになればいいのにな、と思います。
そうすれば、相手と自分が違うからといって、腹を立てなくてもいいし、より相手に対して興味をもって接することが出来るし、自分の個性を周りから否定的に見られる割合も減るだろうから、余計な我慢とか偽りの自分を異常なまでに創りこまなくても良くなるのではなくでしょうか。
「自分が一番正しいと思ってたら、大間違いなんだからね。」
と大人にしかられたことがある。
その大人達がこうあるべき、こうしたほうがいい、と折角勧告してくれたのに私が言うとおりにしない上、はっきりと「私はそういう風にはやりたくない」と言っていたからだと思う。
私は、“私にとって”正しいと感じることを実行しようとしていただけで、大人たちが勧める選択肢を否定しているつもりは毛頭なかったし、「自分が一番正しい」なんて滅相もない。自分の考え方が万人の手本になるなんて、これっぽっちも思っていなかった。しかし、子どもからのそういう対応に慣れていなかったのか、大人たちは幼い私の態度に、自分達の価値観が否定されている、という印象を勝手に持ってしまった。きっと彼らの中には、「子どもは大人の言うことを100%聞くべき」という暗黙の了解がベースにあったと思うのだけど、それプラス、自分の価値観を子どもが従わなかった(私は、その選択肢自体は否定していない。繰り返しになるが、自分にとってしっくり来なかったから選ばなかっただけ)だけ。 それなのに、自分が非難されている錯覚に陥って私を諭しているのは、その大人に「人に何を言われようと、自分にとって正しいことは正しいと信じていい」という子どもの私がもっていた自分の選択に対する自負みたいなものを持っていなかったからだろうと、今振り返って思う。
「私はそうは思わない」というのは、
相手を否定している、ことではない。
相手が「そうだよね~」と相槌を打ってくれないからといって、
自分が否定されているわけではない。
ただ、お互いが違う価値観や視点を持っただけのことである。
自分が自分の経験や直感から「このやり方がいい」「こうするべき」と強く信じていることを他人に勧めても、同じ結果にはならない可能性が高い。だって、実行するのは自分ではないし、結果を受け止めるのも自分の心ではない。
日本は、協調性とか、和 を大事にする文化だから、
自分にとって正しいこと、がまわりの人達と違うと感じてもなかなか堂々と提示しにくい。
私が幼い頃体験したように、非難の矛先を向けられる危機感を感じるだけで、何のメリットも感じないかもしれない。
でも、皆がみんな 同じような選択をするとか、同じような思考回路を辿るとか、同じものを選ぶとか、よく考えてみると変ではないですか? ひとりひとり 全く違う人間なのに。
違いをクリアーにしても、お互い相手に対して否定的に・懐疑的にならない、
「あなたは そう思うんだ、へぇー!」と 新たな発見にワクワク出来るような、
そんな関係がより多くの日本人に出来るようになればいいのにな、と思います。
そうすれば、相手と自分が違うからといって、腹を立てなくてもいいし、より相手に対して興味をもって接することが出来るし、自分の個性を周りから否定的に見られる割合も減るだろうから、余計な我慢とか偽りの自分を異常なまでに創りこまなくても良くなるのではなくでしょうか。
by totoatsuko
| 2007-03-24 21:58
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