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愛してほしい、ありのままの私を

d0065558_2243554.jpg山本有三の「路傍の石」を小学生の時に読んで、主人公をとても羨ましくおもった記憶がある。正確には記憶していないのだが、主人公の少年のお母さんは病気がちでいつも床に伏しているのだが、少年にああしなさい、こうしなさい、もっと頑張りなさい、と言わない。ただありのままの少年を受け入れ、話を聞いてくれる人だった。

生命がままならないと、成績がどうとか、身振りそぶりがどうとか、門限が何時だとか、気にしてる余裕もなくなってしまっていたのかもしれない。ただ、元気で育ってくれればいい、と思うのかもしれない。当時の私には、そんな母親からの受け入れられ方・愛され方を夢見たものだった。

子供は、愛されている・受け入れられているという安心感を土台に、自分というものを形成していく。

親子関係においては、子供が小さければ小さいほど親は子供を育てる役割を負っているので、子供に色んな事を教えようとする、手本を示そうとする。当然のことながら、親の価値観・基準で子供は教育されるし、子供は親の背中をある基準(手本)としてみなし、それを通して世界や自分自身を判断したりもする。

しかし、子供が育っていく過程で、親以外の人間、家庭以外の環境に交わり、自分自身の基準というものを作っていく。勿論、大人になっても結果的に親に教えられたとおりの価値観をもって生きる人もいるが、親とは全く異なる哲学を持つ人もいる。

親にとって、子供は何歳になっても子供、とはよく聞く言葉だが、ここには色んな行間が含まれている。成人・老人になった子供を、未成年の時と同じようにしか扱えない親 - 自分の価値観と異なる事をしている子供の姿を見たとき、子供に対して批判的になったり、子供の(育っていく過程で彼ら自身が形成してきた)価値観を変えるように指導しようとする。確かに、子供より年上の親は人生の先輩かもしれないが、成人した子供の指導者に勝手になる権利はない (子供が望めば話しは違うが)。

子供が幼いときは、ゆるぎない自信をもって親の価値観を子供に示してやることは、その後子供が自分自身で自分の価値観を築くためにとても重要な足場になると思うが、イマドキの親の中には、生き方に対する信念みたいなところでは足元がぐらぐらしてるくせに、子供が成長したら細かいこと(もっと勉強しなさい、とかニートはだめとか、他人に迷惑かけたらいけないとか)にウルサイ人が多いような気がする。そのとき、そのときの子供を、ありのままに受け入れられない。子供との関係の変化にフレキシブルになれない。もはや子供は5歳児ではなく、自分が5歳児の親ではないことに気付いていない(というのは大げさな例えだが)。
しかし、親の無条件の愛情、それは交換条件(いう事をきいたら愛してあげる)ではなく、ただただ存在しているだけのそのままの自分を受け入れ、愛してくれる人の存在は、子供の心の成長に大きな影響を与えるし、それが子供の頃満たされなかった大人は、無意識の内にそれに代替するもの(例えば、食べ物だったり、売春だったり、お金だったり)を曲がった形で求め続けてしまったりする。

時代が変われば、生き方も変わる。
親の時代には受け入れがたい生き方・価値観も、今の時代では違うように受け止められている。そういうのを知識として知っている親は沢山いるのだろうが、いざ自分の子供との関係になると、やっぱり自分の価値観を通した色眼鏡でしか子供をみれなくなってしまうのだろうか?

どんなに違う価値観の人間になっても、親子は親子である。
自分の親だから、自分の子供だから、自分と同じような考え方がどうして出来ないの?と無意識のうちに思っている理屈は分かるけれど、お互いを一人の別個の人間としてRespectし、違いを認め合えたら、もっと素直にありのままの姿の親を子供を愛せるようになるのではないかと思う。
by totoatsuko | 2007-03-22 07:22 | Comments(0)
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