野生性

なま身の肉体 という限りある生命を営んでいる点においては、野生の動物と変わりない。
でも、文明を築き 人工的な空間で 肉体が傷つくことや、その痛みを感じることが最小限にコントロールされるようになって、生きることのすざましさ みたいなものを感じなくても日々が送れるようになった。生きるための狂気、魔性、残虐性は自分でもどこに隠したか分からない心のどこかに収めておくのが現代人のエチケットになっている。
薬がない時代は、傷口が自己治癒力によって時間をかけて自然と癒えていくまで、その痛みと付き合いながら日々を送らなくてはならなかった。腫上がった肉や、朽ちていく自分の肉体を、今のように綺麗にガーゼなんかで覆うこともできず、そのグロテスクな自分の肉体から目をそむけることができなかった。
病によって気絶するほどの痛みを感じながらも 死ぬことも許されない悲痛な状態。それを傍観するしかなかった周りの人々。
どうしようも出来ないことに対する、引き裂かれるような心の痛み。
いまは全てが適度なオブラートをかけられ、自分の 表裏一体の生と死に畏れを感じることも無く、他人のそれを間近で触れることもなく 生物として生きている人間。その一方で、人工的な苦悩を次から次へと生産していく。
例えば戦争。
例えば殺しあうテレビゲーム。
例えば表層は美しく飾られているがその一枚下でおおきな渦を巻いている心のアンバランスが生み出す虐待・自虐行為・出口のない憎しみあい・殺しあい。
しかしそれらに対してすら わたし達は心を閉ざす。
自分達が作り出した痛みは一人歩きをはじめ、空気の密度をにごしていく。
行為として 生と死 を扱うが、心はそこに存在する痛みを感じていない。
本当は叫び声をあげている自分の心を他人事のようにとらえて、
本当は痛みを感じているのに、神経を切り裂いて、感じないようにして、
痛みなんか存在しないように振舞って世間体を保ち、自嘲的な甲高い笑い声を発し続けるだけ。