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自由とやどかり

自由とやどかり_d0065558_1449446.jpg「自由」ってなんだろ?
みなさんは、自分にとっての「自由」ってどう定義しますか?

例えば、広大な大地にポツンと置かれ、日々のしがらみから開放され、何してもいいよ、って言われることが自由?
例えば、好きなものを好きなだけ買えることが自由?

私は、「自由を謳歌」するには、謳歌できる「自分」が存在しないと、何も自分からやりたい事を始められないし、自分がやっている事を楽しめないと思う。何でも出来る状態が楽しく幸せに感じるとは限らない。

まず、自分の感情の起伏を感じられること - これが当たり前のようでなかなかそうではない。嬉しいときには心から笑い、悲しいときは素直に涙を流すこと。現代人のなかには、それが出来ない人がとても多い。

そして、自分を持つこと。こういう事は好き、こういう事は嫌い、そういう事を人に対して言う必要はないけれど、自分に対してハッキリ自信を持っていえること。出来ないことに罪悪感や劣等感を感じる必要など、全くない。見栄や人に合わせて調和を図るために、自分を傷つけたり、苦しめるまでする必然などないのだから。

ここで素直に喜んだら軽くみられるかも、とか悲しそうな顔をすると弱い人間だって誤解されるかも、とか。確かにそう見る人はいるだろうし、そうじゃない人もいる。それは、どういう表情をしたって同じ。人は自分の事を100パーセント正しく理解なんてできっこないのだから。要は人がどう思おうと、自分の感情はここにあり、人は誤解するけど、自分は自分を誤魔化しきれないということ。


余るほどのお金を持っていて、欲しい物は何不自由なく手に入れられても、
好きなだけエステに行ったり、リラクゼーションに行って気持ちよくなれても、
権力をいくらでも振りかざせる立場にいても、
欲しい女の子・男の子をいつでも手に入れ、要らなくなったら自由に捨てられても、
その自由を心から楽しんだり、謳歌できず、常に何か他の自分を満たしてくれる、自由にしてくれるものはないかと探し続けることに囚われている状態にある人、まわりを見渡すと、けっこう沢山いらっしゃるかもしれません。もしかしたら、自分の中にも。



書いている内に随分話が流れてきてしまったのだが、表題にヤドカリをあげたのは、「自由」について想ったとき、ふとヤドカリはあんな重いカラを常に背負って、狭い家に閉じこもって、幸せなんだろうか、ヤドカリに自由はあるのだろうかと思ったから。

調べてみると、ヤドカリはあの殻がないと、あの殻という束縛がないと、感染したりストレスを感じたり、他の生き物に食べられたりして死んでしまうのだそうだ。一見束縛に見えるものでも彼にとっては生きるために必要な「枠」であったり、「安心できる場所」であったりするわけだ。

そして、彼は自分の体の成長に合わせて、ヤドを換える自由を持っている。いつ、どんなヤドに移るかは彼次第。他のヤドカリにとってはイケてないと見えるヤドでも、自分にとってジャストフィットなヤドであれば、外野の声なんて関係ない。

「自由」って、自分の中に自分が信頼できる基本的なルールや枠組み、倫理観がないと、その自由の本質を真に味わえないと思う。誰かと比較して、「自分の方」が「自由になる」お金、時間、体、能力、人間関係が多いか・少ないかという基準では、永遠に自分は自由を楽しめない。自由を感じるのは、自分であり、それはとても主観的なもの。比較論では語れない。通帳上の数字が多い人のほうが少ない人より人生を楽しめている、という方程式が成り立たないのは皆知っていること。

いかに、自分が持っているものの真の価値を自分が見出せるか、のばせるか、楽しめるか、自由な見方が出来るか、自分が自分に課している束縛を放てるか、で人生の体感 自由度はかなり違ってくるはずだ。
by totoatsuko | 2007-01-17 17:57 | Comments(1)
Commented by てけ at 2007-01-18 01:34 x
はじめまして。たまに読ませていただいています。

「嬉しいときには心から笑い、悲しいときは素直に涙を流すこと。現代人のなかには、それが出来ない人がとても多い。」

何気ないようで、深く本質を突いた言葉だと思いました。
日々このようにありたい。
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