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決定的なミスを生まないためのシステム

ボストンにいた時、ハーバードの公衆衛生系の勉強会に出ていた。
ある日のトピックは、医療ミスを発生させないための体制が、日本の医療より、アメリカのそれがいかに進んでいるか、という内容だった。

どんなに有能な医師でも、人間だから絶対にミスはしてしまうのは当たり前だ、というとてもリアリスティックな前提。エリート意思が間違うなら、他多数の医師がミスを起こすのも当然。日本のように、技術が低いとか、倫理観がないとか、医師の人間性を否定するだけでは、その業界自体、何の成長もしない。

その上で、アメリカ医療界がとっている対策は、一人の医師に全ての責任を集積しないこと。
OnとOffをはっきりさせており、超多忙な日本のお医者さんは大違い。忙しすぎると、間違わないものも間違うし、質の高いものを提供できない可能性だって高くなる。
また、常にチームワークを重視し、1人の決断で全てを決めない。チェックシートをつくり、誰でも(看護婦でも、補助要員でも)、やるべきことの手順を間違えないようなガイドラインをつくる。スーパービジョンを充実させ、一人で悩ませない。

どんな簡単なことでも間違ってしまうのが人間。
どうして、患者を取り違えて手術してしまうのかさっぱりわからない、と傍からみれば思うかもしれないが、病院という場所は狂気が交錯するところ。ふと魔がさしたり、ふと気が抜けた瞬間、何かが起こる。それを100パーセント予防するには、チームワークとカイドラインが不可欠。

責任や権利の分散は、権威を盾に機能している職業の業界の人たちには恐ろしいことかもしれない。患者は医者のいう事をきいていればいい、という理念で患者さんと接する古いタイプの医師にとっては、自分の力が奪われるようで。でも、1人で出来ることは限られているのだ。医療が進歩した分、その知識や技術を患者に還元するためには、一握りのスーパースター医師では、どうにもならない。技術が、能力があるのなら、それを最大限生かすシステムが必要だ。

教育だって、同じだと思う。
昔のように「学校の先生はエライ」というのでは、もう生徒や親はついて来ないし、そういう関係は求められていない。同時に、先生たちが、自分の中に強い信念を持って子供と接する事を恐れているのではないかと感じていしまう。何が生徒や親の機嫌を損ねる原因になるか検討がつかないから、始めからあたりさわりのないように接していた方が無難だと。そして、何か強い個性を発揮しようものなら、すぐさま粗さがしされ、攻撃の的にされてしまいかねない。

無気力な先生が増えてる、先生の質がおちている、と個々の先生を非難する声が聞かれるけれど、私は、それは個人が悪いんだとは思わない。誰だって、何をしたら大変なことが起こるかチェックする方法を持っていなかったら、怖くて何も出来ないのは当然だ。何か意欲的に新しいことに取り組んだり、創造してみようなんて、もっての他だろう。なぜなら、この試行錯誤のプロセスでは、間違いも起こるし、その間違いの積み重ねから、素晴らしいものがうまれてくるのだから。

だから、私は思う。年長から若い先生たちにまたがって自由な情報交換できるネットワークとサポートシステム、その時代・地域・社会が求めているものは何だろうか、と幅広く新鮮な視野を学び続けることが出来る先生教育システムを創っていくのがとても大事だと。間違いやうまくいかない結果になろうとも、それが決定的なミスにならないために、安全に試行錯誤が出来る環境とチェックシステムが必要だ。


教育者だからといって、教育のことだけ勉強しているのでは十分でない。同じ業界の人、しかも限られたコミュニティー間だけで長年暮していると、自分に、コミュニティー全体にカビが生えているのさえ気付かなくなってしまう。(これはセラピスト業、親業でも、他のどの業界でもいえることだと思うが)

人と関わる仕事をしている以上、自分の特権を守るためという理由で、相手の生命を奪うことは許されない。しかし人間一人の能力には限界があるのだから、それを素直にみとめ、ミスした個人を吊るし上げるのではなく、予防し成長していけるシステムを作っていくべきだとおもう。
by totoatsuko | 2007-01-12 22:30 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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