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誰のためのルール?

誰のためのルール?_d0065558_1185128.jpg学校には(毎日)行かないといけない、って誰が決めたんだろう?
学校でいじめられた生徒が自殺するニュースを見るたびに思う。

もし、自分にとって全く利益のない場なら、無理していく必要は全くないと思う。
皆が行ってるからとか、義務教育だから、という理由だけで、死ぬ思いまでして日々通うべきだとは、誰も思わないはずだ。

その子と個人的に親しい人は、その子が自殺して初めて「何もそこまでして学校に行かなくてもよかった」と思うのかもしれない。

私が子供のころ、不登校問題で社会が盛り上がった時期があった。
些細な理由、例えば「お腹が痛くて」学校を長期欠席してしまう子供を、最初は「単なる甘え」とみなして切り捨てる人が大多数だったが、その後専門家がその体調は、子供の心の訴えなんだ、と言いはじめた。でも、日本社会はそこで十分な数の専門家を育成する方向には動かなかった。既存の精神科医や、地域の力でつぎはぎして今日まで来てしまった気がしてならない。
個のあり方よりも、全体の調和が重視されてきた日本文化で育った人たちには、それを乱す因子の取り扱いをやっかいとしか思えないのが本音なのか。

学校で学べることは、沢山ある。
学校でしか学べないことも沢山ある。
だからと言って、自分に合わない学校に行く必要はない。
義務教育を終了していないと、マトモな就職ができないなんて理由は、生きるか死ぬかを迫られている人間にとって全く無意味である。


社会や親、友人達のもつ価値観に自分が当てはまらなかったり、
それらの人たちに自分の存在を否定されたり、
その「輪」に入れてもらえない・入れない、というのは、本当に辛いと思う。
特に、自分が属する社会やグループに認められることがとても大事とみなす日本では。
そういう事が大事だと思う親、先生、上司が、その子供を育て、教育していくから。
この人たちが潜在的に持つ「社会に認められなかったら怖い、自分の存在意義を失ってしまう」という恐怖感を、子供達も学びとっていくのだ。


まだ発達の途中である子供達が、たまたま生まれてきた社会や親の価値観にそぐわなくて、それを苦に自らの命を絶ったり、教えられた価値観に自分の友達や家族がそぐわないからといって、相手を死に追いやってしまうのは、本当にやるせない。

ルールは、わたし達に規律を与え、安心して社会で暮していくために無くてはならないものだ。
例えば、交通ルール・信号機が無かったら、危なくって車を運転できないし道も歩けない。
でも、もし自分の身に危険が及ぶような状況に遭遇したら、誰だってためらいなくルール違反をして危険を回避するだろう。例えば、対向車が突っ込んできたら、赤信号でも車を動かしたり、急な車線変更をして避けようとする。

こう書いていると、何故わたし達は日々の生活の中で社会のルールから自分を守れないのだろう?という疑問が生まれてきた。身を守るための本能的な決断は瞬時にすることが出来るのに、日々の生活の中では過労死してしまうまで逆らわず働いたり、陰鬱な気持ちで学校に通い続ける。命は大切だと誰もが教えられているはずなのに。

動物的な本能ではなく、日本文化に飼育・教育されたわたし達の「思考」は、心や肉体の訴えに耳を傾けるよりも誰が何のために決めたか定かではない日本社会のあいまい かつ 強力なルールに従う事の方が重要だとプログラムされてしまっているのだろうか?
by totoatsuko | 2007-01-06 15:15 | 日々感じたこと | Comments(0)
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