別れ

死別、ケンカ別れ、同意の上の理性的な別れ、2人の問題をこえた外的要因による別れ。
別れに至るまでに二人で歩いた道のりと、別れの儀式(電話で?目をみつめあって?長い抱擁のあと?葬儀?卒業式?)によって、別れの色合いは随分と変わってくる。
悲しみや怒りにスタックして、前に進めない場合。
あまりにもそれらの感情が強いので、相手に復讐するとか、失ったものの大きさにただただ呆然として生きる気力を失うとか、何も考えられなくなるとか、生きることに悲観的になったり、人と接触したり、関係を築くことに踏み出せなくなったり。鬱になったり、身体症状(PTSDなどもそうだ)を伴うこともある。
それは、あまりにも受け入れがたい感情が自分を独占してしまわないよう、自分を壊してしまわないようにするための心の自己防衛反応。
相手に自分にある全ての非や悪、影の側面を投影することにより、自分が優位にたっている感覚を感じたり、
自分が別れによって生まれた感情によって崩壊してしまわないよう、自分の強い思い(怒りや憎しみや悲しみ)を、相手を殺したり、陥れたりすることに費やしたり、
でも、別れの際に生まれた感情を受け止めることが出来たら、別れた人との記憶が、別れの悲しみを乗り越えて、永遠となる。
その人と過ごした「時」の中で経験したこと、感じたこと、変化した自分が、別れた後も、恒常的に自分の人生に影響を与え続けていることを感じられる。肉体の存在や人間レベルでのコミュニケーションを超えて、魂のレベルで繋がっている事を感じさせられる程のもの。
生きていると、出会いと別れの繰り返しだ。セラピスト・クライアントの関係でも起こること。
だから、私はその終わりのプロセスをとても大事に扱う。毎回のセッションの終わり方、1シリーズの終わり方。そこに現れる、クライアントの終わり方、終わりに対する態度をセラピーの中で吟味することにより、無意識におこしていたパターンに気づき、変容させ、クライアントの日々の人との出会いと別れで編まれていく人生の色合いが変えることがある。
ある人は、日々の「終わりのプロセス」をとても簡素に行なっていることに気づいた。
電話を切るときも、さよならをいうときも、出来るだけ簡素に時間を使わず。相手が電話を切る前に、さよならを言う前に、電話を置く。時には、「さよなら」を明確に示さず、消えるようにその場を去り、その場にいる人と正面から別れを扱わなかったり。
日常生活していて、そんな自分のパターンには寸分も注意を払わなかったが、どうしてなのだろう?とセラピーでプロセスしていると、自分は別れや終わりが怖いのだと気づいた。別にもう相手と会えない訳でもないのだけど、なんとなくその瞬間が嫌なのだと。それは、過去の悲しい悲しみを無意識のうちに感じてしまうところから来ているのかもしれない、とも気づく。そして、その感情に気付く事によって、その人は、日々の出会いと別れの際に起こる自分の感情に注意を払い、時間をかけて「さよなら」を言ってみることを試みはじめる。そうすると、別れ際に相手と交される会話の中に、相手からの情感を感じたり、自分の相手に対する情感を伝えることが出来る様になったり、「別れ」をより意識して人と関わることにより、人との関わり方が変わっていった。
人間関係は、関係が続いている時だけのものではない。
セラピストと名乗っている人でさえ、その重要性を認識していない人が多いようだが、
別れのプロセスは、その後の自分の生き方・感じ方に「別れの前に起こったこと」の影響を左右するほど重要なものなのだ。
音楽とアートを使う心理カウンセリング Guided Imagery and Music (GIM) session についてはコチラ
アメリカ発 幼児のための音楽教育 Music together @ 代々木上原クラス 無料体験 受付中。
マクロビおやつ付き。