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権威

権威_d0065558_1274936.jpg10年前、初めて犬を飼った。犬は、お散歩にいくよ、と言うと飛び跳ねて喜ぶし、公園に連れて行って首輪をはずしてあげたら、駆け足で敷地を走り回った。それを見て、いつも家の中に閉じ込められていたり、外に出ても首輪でつながれていてかわいそうだな、と思った。

しかし、少しして手綱を放されることが 犬にとって至福の時間ではないことを学んだ。
人間社会の危険から身を守るすべを持っていない犬を放し飼いにすることは、例え公園という限られた場所でも、命を奪われるような恐怖と隣り合わせだ。人間社会のルールも知らないから、戸惑うシーンにもたくさん遭遇する。

家の中、家の庭でペットの犬を飼う事は、犬を監禁しているのではない
首輪をつけることで、犬の自由を剥奪しているのでもない。

犬が、安心して その生を楽しむために、飼い主は 規律とプロテクションを用意してあげているのだ。


人間も同じ。
やりたい放題できることが、個人ののびのびと生きる喜びや、創造性を生み出す「土壌」であるとは限らない。

規則や価値観を教えてくれる環境の中で、ベースとなる確固とした、規範やルールといったものをものにしないと、創造的な価値観が生まれる始点にならない。それは、例えば日本人としてのアイデンティティーだったり、家 がもつ文化だったり、思考回路・行動パターン、感性だったりするだろう。

そういうものを知ってこそ、外から影響されて作られた自分と、自分本来の差異に気づいたり、既存のルールに疑問を投げかけた、何かを変えよう、という動きがでてくるのだ。

少し前のアメリカのビジネス界では、父親的な社長(圧倒的なカリスマとリーダーシップ)が、そして最近では、お兄さん的な、頼りになる親しみやすいリーダーシップが、ポピュラーになっているそうだ。

これは、アメリカ人が、か弱く未熟な幼児で父親の絶対的な庇護と導きを求めていた時期からと比べて自我が発達し、自分を自覚し、自分なりの成長を始めた自我に理解を示し、アドバイスをくれるお兄さんを求める時期へと成長したことを示しているのだろうか?

それでは、日本におけるリーダーシップはどんな性格を持っているのだろう?
ワンマン?亭主関白系?いやいや、これらは裸の王様で真のリーダーシップとは言えまい。
これらのタイプは、空威張りや恐怖政治で、自分の中の自信のなさをカモフラージュしているに過ぎないのだから。
ならば、誰か一人が強いリーダーシップを取るというよりは、みんなで仲良くみんなで社員、という「会社」の雰囲気そのものが、社員、組合員、日本人を導きまとめてきたと言えるのか?

日本が、海外の価値観の洗礼を受ける前の、日本人による日本人のための日本社会でよかった時代は、その「なんとなく」みんな同じで、みんな仲良し、という環境において、みんな「それなりに」幸せであれた。

しかし、西洋的な考え方や、生き方、会社のあり方、世界における日本のあり方が、個々の日本人の生き方に疑問を投げかけるようになった時、それに対抗する強い何かを日本人はもちあわせていない。これまで、強い何かを個々人がもつのではなく、個を持たないことで「和」や「柔軟性」を生かし、歴史を作ってきたのだから。

「権威」とか、「絶対的なもの」の存在を、家庭や教育の場や社会で否定しておきながら、西洋かぶれの見識は、個人に「個の自立」を求める。

「個性重視」
「自己責任」
「能力至上主義」

あんまりではないか。
そんなこと知らなくたって、それなりに定年まで会社にいられたし、学校にもそれなりに楽しく通えたのに、今は自分をしっかりもつか、強い派閥にしがみついて虎の威をかりてないと、生きている価値がない、と感じさせられてしまう。

前回の投稿でも指摘したが、日本は、あまりにも物事をgood/badに仕分けしたがりすぎる。
どんな物事にも、両面性があり、程度があるのだ。

本当の自由を謳歌するには、不自由な環境をしらないことには始まらない。
権威と創造的な関わり方をするには、権威の悪い面もいい面も、ニュートラルな面も体験しないと、権威の立場をうまく利用することができないし、不必要に権威を恐れてしまうことにもなるだろう。
by totoatsuko | 2006-12-11 12:07 | 日々感じたこと | Comments(0)
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