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よくがんばったね

よくがんばったね_d0065558_1038839.jpgある人のお葬式で、
「本人もよくがんばったとおもいます。」
とは、故人を偲んで交わされた対話の中の一つ。

本人は、元気だった数年前にすでに家族に自分のお葬式はこのようにして欲しい、と伝え
身の回りの整理をし、実に見事に自分の肉体の生命の死を迎える日をプロデュースしようとしていた。

こんなに用意周到で、「早く死なせてくれ」と言う人でも、
自分の本当の病名(癌)を、直接 医者や家族から聞くことは望まなかった。

癌と診断された後、まだ本人が自分で動ける頃は、食欲が無い本人に、家族が少しでも美味しく食べれるものを用意した。引きこもりがちな本人を、外に連れだし、外気や人のエネルギーを感じさせた。そんな家族の愛情を受けて、本人も がんばって 食事をしたし、体を動かす努力もした。

いよいよ痛みが強くなると、緩和医療を希望し、死の前の数週間を過ごした。


家族がプロデュースしようとしていた
「死ぬ前日まで、普通どおりの生活」

死が近づいても、気力を失うことなく生き、日々を過ごすこと。
「本人もよくがんばった」という言葉は、それを実現するために頑張った本人の努力に対するもの。

でも、頑張る必要があるのだろうか?
私は、いつも 病にかかっている人や、死が近い人に対して 「頑張ってね」という言葉を投げかけるのに疑問を感じている。本人がその言葉を聞きたいと思っているのなら別だが、ただでさえ、何もしない状態で大変なのに、それ以上何を頑張る必要があるのか?

死ぬ前日まで普通の生活をしていて、ぽっくり死ねたらいい、というのはある個人の理想であって、万人の理想ではない。また、元気な時そう思っていても、自分の体が辛くなると、普通の生活が「苦痛の生活」以外のなにものでもなく感じるかもしれないのだ。

心を割って感情レベルでコミュニケーションしないと、本人が自分に望んでいる、家族に望んでいる本音を知ることは難しい。本人が、自分と対話しないと、自分がどうしたいのか分からない事だって、沢山ある。それは、家族も同じ。死んでいく人のためを思って、介護している、労を費やしていると言っていても、それは、実は自分が気づいていない、本人と自分の関係に求めるもの、自分が必要な事をやっているだけで、本人の意思とはずれていることをやっている場合もある。


人生を歩く道のりの中で、なんとなく生きていたり、本音を通い合わせる関係を持たなかった人は、いきなり死を目前にしたからといって、心を誰かに開いたり、自分がどの様に肉体の死を迎え、この形でのこの世界との関わり方を終えたいか知ることは、不自然かつ不可能であろう。

たとえば、なんとなく時代に、社会に、周りに流されて生きてきたひとは、やっぱりなんとなく死んでいくのがその人らしい、と言えるのかも。

私が、音楽療法士・グリーフカウンセラーとして関わって本人と家族の死の色合いが、ひいては生の色合いが変わった感動的なケースは沢山あるが、それが一概に全ての人に起こるといいとは断言できないのかもしれない。
by totoatsuko | 2006-12-07 10:37 | 日々感じたこと | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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