伝える努力

通っている人の年齢は10代後半から50代まで。今日は、彼らの家族やボランティアが中心となって、この企画を実行した。お昼には、カレーが振舞われ、さながらお祭り気分。
私は、ここでの活動に関わっていないのだが、職員の方と話をしたことがある。
そのとき、月に1回音楽療法を専門学校で教えている先生が音楽療法セッションをしにいらっしゃるというので、「たった1回なのですか?もっと頻繁にあればいいですね。」というと、いや~、というあいまいな返事をされてしまった。まぁ、どんちゃん騒ぎしてるようなものですからねぇ、と。
私はセッションを見ていないので内容についてどうこういうつもりはない。
ただ、音楽療法士を受け入れる施設の人と療法士がきちんとコミュニケーションがとれていないようで残念に思った。セッションは通りすがりの人から見たら、ただのどんちゃん騒ぎや、誰にでも出来るようなものに見えることがある。実際そういう場合も有るが、ものすごく深いことを音楽を通してやっていることもある。もし、後者の場合だったら、残念だと思うのだ、職員の人、利用者の家族にそれが伝わらないということは。
音楽は誰でも使えるし、選べるし、演奏できる。
「自分で出来るミュージックセラピー」なんて記事をどっかで読んだこともある。
ようは、気分をよくするために音楽をどう利用したらいいか、見たいな事がかいてあるんだけど、
どうして、いちいちセラピーってつける必要があるのか?
きちんとトレーニングを受けていない人でも実践できるもの、という印象が広まってしまったら、何故何年もかけてトレーニングする必要があるのか疑問を持つ人が増えてしまうだろうし、音楽療法ってそんなものか、と思う人が増えるのは、このフィールドを発展させていきたいと思っている私にとっては危機だ。
音楽、という非言語なものを言語化するのはとても難しい。
音楽心理療法セッションで音楽とともに起こる心の変化も非言語なものなので、第3者に説明する時は言葉選びに慎重になる。
あ・うん の呼吸とか、言わなくても相手の考えていることや気持ちを察することが「常識」で、常に欲求されている日本では、折り入って自分のセッション内容を自分の哲学から、音との関係まで説明するのはヤボだと思われるのだろうか?また、みんな忙しいから、やることやってくれればそれでいいから、と雇う側も思うのか。
でも、実際今日本で起こっている現象は、音楽療法に対する誤解。
これを黙認するわけにはいかないではないか。
雇うなら、雇った者がやっていることをきちんと理解してもらいたい。
だから言葉をみつけていかなくてはならないのだろう。より多くの人に、ただ楽しいお歌の時間以上のものが提供できることを。そして、より多くの人が、その恩恵を授かるチャンスを広げるために。
by totoatsuko
| 2006-10-21 14:24
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