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続・父性 ~ 切捨て or 尊重? I

おいしい栗おこわを炊きたくて、
何年かぶりに栗の鬼皮・渋皮剥きをやったら、永遠に時間を費やしてしまった。
まず軽く茹でて鬼皮をむいてから、もう一回軽く茹で冷水にとって包丁で渋皮を丁寧にむいていく。もうなんにも考えてない。単純作業だけど集中力がいる作業をてくてくこなす。

むき栗なんて何処でも安く手に入るし、
有名料亭の栗おこわだって色んなところで売っている。

なのになんで、私はあのいがいがから出てきたばっかりの栗を手にとってしまったんだろうか?
栗の木から自然に落下して、まだまばらな落ち葉の絨毯にころがっている ぱっかりと二つに割れたトゲトゲの栗の実。きっと栗鼠(りす)が割って中身をもってったんだろう、と思いながら歩いた週末の情景を思い出す。

あの森に通じたかったのか?
私の手から時間をかけて大切に込められた愛情というエネルギーがつまったお櫃を、家族と分かち合いたかったのか?

やっと最後の一つを剥きおわり、切り捨てられた皮の山をみて思う。
脱皮する とは、大変なことだ。
沢山のものを切り捨てないといけない。
そして、そのプロセスには膨大なエネルギーを要する。

そういえば、私が初めて切り捨てられその痛みを体中で、心全体で感じたのは、高校受験を終えて間もない頃だった。音大を目指しているので週末や放課後の補習などには出られません、と私の立場が他の生徒と違うことを明らかにすると、母親が呼び出され、年配の主任と中堅の担任と4者面談になった。そのときに言われたのだ「あなたは人間のクズですね。ろくな人間にならない、ウチの高校やめたらどうですか。」

私は今思えば、良くも悪くも本当に母性的な家庭(口答えせず規則やいいつけを守る限り、あなたを養護しますよ、的なもの)で育っていたので、初めて全面否定という体験をした。思春期のまだ形を形成するに至っていない無防備な自我はその時そうとうなショックを受けた。自分のこの世での存在を拒否された気持ちだった。ここまで否定されて、なんで生きているんだ、と。
周りに否定されることは、それくらいあの頃の自我にとって恐ろしく、簡単に飲み込み私を死に至らしめることも簡単なくらい、力強いものだった。

無邪気に母性的な庭で遊んでいる時代は終わってしまった。
当時の私にとって、極めて父性的な強い拒否だった。
キミのような人間は、ウチの高校には、このコミュニティーには必要ない、他の生徒の害になるだけだ、という。
(続く)
by totoatsuko | 2006-10-06 16:25 | 日々感じたこと | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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