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永遠の少年

ピーターパン症候群とか、シンデレラ症候群とか、マザコンとか、
いつまでたっても自我が確立できない人が、日本には特に多い。

でも、そういう人に限って、結構面白いアイデアを持っていたり、思い切った行動をしていて魅力的に見えるときがある。日本のニートと呼ばれる人たちの中にもみられるタイプの人たち。彼らは、習慣にとらわれず、真実に迫り、理想を追い求める、自分のやりたいことを探し続ける姿勢をもっているけれど、残念ながら、その願望を現実化する力を持っていない。

社会に適応することにより、自分を曲げたり失うの必要がないと考えたり、自分にぴったりの仕事がない事を嘆く。色々試すが、タイミングが悪かったり、相手が悪かったりして、何かを成すにはまだ機が満たないということになる。行きたい大学に入るために、浪人を永遠に続けるひとたちの中にも存在する。

永遠の少年・少女達、時には、人を感嘆させるような事を成し遂げはするのだけど、持続的に地道に取り組み発展させることが出来ない。自分の人生を賭けれない人たちにとっては、社会のルールを破る危険性より、それに囚われたり、忍耐する事の方がよっぽど恐ろしいのだろう。社会のシステムや、周りに対して文句をいいながら、それに代わるシステムや、価値観を自らつくろうとか、社会に存在しないやり方で自己実現の道を歩む程肝が据わってもいない。

彼らは理想を追い求め、エネルギーを注ぎ込む対象を次々と見つけ出すが、それが特別なものでないと分かると、また次なる理想を求めてさまよい始める。

外に向って自分を発展させ、外との関係を創ろうとするが、傷ついたり疲れたりして意識が内面に向う。理想の世界、架空の世界に逃げこむ。このプロセスは、成長の過程でどの人も経験している。これが「創造的退行」であるなら、この過程においてその人が自我を確立し、一人の大人に成長することはできる。


例えば、ギリシア神話の神ヘルメスは、庭で草を食べている亀を「なんと美しいのだ。家に入れ、お前を軽んじたりはしない。」とほめたたえ、招きいれた瞬間、亀の腹を割り、美しい竪琴をつくった。亀との出会いをただ受動的に体験するのではなく、亀のもつ隠された力や美をみいだすことにより、その出会いを別のもに変えている。

しかし、日本の昔話では、浦島太郎が亀にさそわれるまま海の底に行き(出会いに対する受動的な態度と、現実の世界からの退行)、開けてはならぬといわれた玉手箱を、竜宮城恋しさに負けて開けてしまい(弱い自我)、一気に老け込んでしまい、老人として浜辺に取り残されてしまう(受動的な生き方をした結果を、受動的に受け止める)。

モラトリアムな時期があっていい、
退行して社会から離れる時期も必要な時がある。
でも、社会を否定し、文句をいいながら、自分だけは特別だと勘違いして(みんな、ひとりひとり特別なのだ)永遠にすごしていては、本当の心の安らぎや、自己実現からは程遠い人生を送ることになってしまうだろう。永遠に、右肩上がりの成熟が出来ず、常に幼児→(仮の成長)少年→(退行)幼児、の放物線を描く。

そういう意味で、日本社会や、日本の親や家庭のなかで、もう少し父性的な要素(自我が確立した集団、甘えや退行を許さないという優しさ、など)が現れていかないと、日本に生息する永遠の少年・少女達(それらの中には親になっている者もいる)の人口は増える一方で、その結果、日本の文化・社会すら少年化していき、諸外国との関係も、子供と大人のたわごとしか出来なくなるかもしれない。、諸外国にこける日本の地位も、諸外国がもつ日本のイメージも、永遠の少年、面白いことは言えるけど、長期的な信頼はできない存在になってしまうかもしれないのは情けないことだ。
by totoatsuko | 2006-10-02 12:09 | 日々感じたこと | Comments(6)
Commented by miho at 2006-10-02 20:49 x
ふむふむ。
興味深い考え方ですね。現在の日本の若者をみていて、強くおもうのはあっちの人(社会に適応し、自分らしさを追求せずに自立する人)とこっちの人(反社会的で非現実的)に分かれているように感じます。
私も以前はこっちの人になりたくて、憧れましたね。だって、輝かしいアイディアをのべる人はいつまでも魅力的ですもの。
いまはどっちだろ。あっちの人のの顔して仕事してるけど、本当はやっぱりこっちの人になりたがっている自分(永遠の少女)がいますね。

Commented by なるほど at 2006-10-02 21:25 x
「・・・行きたい大学に入るために、浪人を永遠に続けるひとたちもそうだ。・・・」

確かに合格のみを目指すのはどうかとは思いますが、そのプロセスを楽しんで取り組んでいる人もいるような気がします。所詮は試験だから、あるいは自分の身の丈にあったレベルで受けるべしという話かもしれませんが、そのプロセスを大事に自らの能力の向上を目指し、その結果、合格できないという場合があると思います。その結果を人や社会のせいにするのは論外ですが、自己反省のもと、真摯に努力を続ける人を切り捨ててしまっている感じがして残念でした。
Commented by seiji at 2006-10-03 00:04 x
うーん、自分に当てはまっているような、いないような・・・。自分はまだ転職したことないんですが、転職を繰り返している人も、これに当てはまるのでしょうか?線引きが凄く難しそうですね。
Commented by totoatsuko at 2006-10-03 02:13
あら、思わぬ色んな反響・ここでシェアしてくださってありがとうございます。
mihoさんのを読んでいて、どっちかの人に自分をあてはめるのはあんまり重要じゃないんじゃないかなぁ、って思いました。所詮、そんな簡単に人を色分け出来ないですよね。色んな自分がいて、いつまでも少年少女でいたい自分もそのひとつに存在するのって、当然だと思います。ただ、成人してもずっとそのパーツが「主幹」であり続け「他の側面が育たない」場合、人生で出会う色んな事に呑まれてしまうだろうな、と、そしていつまでも周りからは子供扱いされてしまうのだろうな、と思うのです。ただ、そういう心理状態で生きていきたいと思うのは、本人の自由だとも思います。
Commented by totoatsuko at 2006-10-03 02:23
なるほどさん、seijiさん
はじめまして。面識のない方のコメントにお返事をかくのは、難しいなぁと思いながら、書いています。言葉のニュアンスが誤解を招くことが多々あるから。

さっそく、「浪人を永遠に続けるひとたちの中にも存在する。」に書き換えてみました。こちらの方が、私の意図をより正しく表現してくれそうだから。

ご自分の判断で周りに文句いう訳でもなく試験を繰り返し受けられているのなら、別にいいんじゃないでしょうか?他人にとやかく言われるものでもないし、自分の人生は自分で決めて過ごしていくもので、そう自覚のもとされているのですから。
Commented by totoatsuko at 2006-10-03 02:23
転職を繰り返すひとにしても、試験を繰り返す人にしても、その表層の行動のみをきりとってその人の心を判断するのは意味がないんじゃないかなって思います。なるほどさんもご指摘の通り、行動の背景には色んな心情が存在するので。ただ、望む結果が出ないこととか、自分の行動が巻き起こすことに対して、周りの責任にしたり悲観的になっているだけだと、いつまでも少年の目でしか世界を楽しめないだろうな、と。

繰り返しになりますけれど、少年少女のような要素は大事なわたし達の側面だと思います。たとえそれが成人した人の心の幹であり、ピーターパンのように生きながら年老いて行くのも、別に悪いことだとは思っていません。ただ、他の色んな側面をはぐくみ、色んな色合いの自分を組み合わせて生きるほうが、自分が熟成していく楽しみ、みたいなのを感じられるだろうなぁ、と個人的に思います。
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