鬼

神輿が町内の大人、子供に担がれ、町中をねりあるく。
笛の音がきこえる。
私が子供の頃体験していたまつりには、いつもこわーい鬼が登場していた。
すごく怖い顔をしていて、おおきな長い棒をもって、肩を横に振ってあるきまり、時折子供達の悲鳴を引き出す。
鬼は、平安時代の文学に登場し、日本人の心に棲みついている大事な存在。欧米人のイメージには決して出てこない、極めて人間にちかいが人間の世界とは別のところで生きているのが鬼だ。
王朝繁栄の暗黒部で生きる人々が無意識に抱えていた反体制的な怨念、雪辱、それらの情念が復讐の源となり、鬼になってその情念を実行に移す。ある学説によれば「おに」と「かみ」とが同義語だったかもしれない、というのは、とても興味深い。
鬼は、自在でありながら、その強烈な自己主張ゆえに、あまりに人間的な存在であるがゆえに、人間がつくった社会規範での存在を許されない私たちのもう一つの姿ともいえるのではないか。それは、自分の欲求や残忍さに素直で生きることを願ったゆえに、かえって阻害されてしまった者たち。
鬼は美女をあやめ、略奪し、人を殺すが、裏を返せば、それは古来から人間が行っていたこと、最近事件として取り上げられている人間行為と重なる。人間性が乏しいがゆえに犯す悪と、人間性あふれる悪。
近代に至って、鬼はもはや祭りや文学、舞台芸術の世界のみでしか生息していない架空のモノとして人々のあいだでは意識されているように感じる。しかし、鬼はまだ生きている私たちの心の影の部分に。それは、汚いもの、恐ろしいものとしてその存在そのものを拒絶されている。しかし、きょぜつされればされるほど、鬼の持つエネルギーは圧迫され、解放されるチャンスを狙っている。
秋祭り、鬼が正々堂々と道を歩ける数少ない機会、
人間として忘れてはならないものを、魂の存在を喚起しているように感じてならない。
by totoatsuko
| 2006-09-30 08:26
| 日々感じたこと
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