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次世代へ II

次世代へ II_d0065558_7411078.jpgどの世界にも、とてもClose mindedな人がいる。
自分の持っている知識や経験を出し惜しみしたり、偉ぶったり。
あるいは弟子に自分が教えた知識や方法を発展したりアレンジをきかせるのを許さない人もいる。例えば、マクロビオティック (食のあり方の分野)のある先生は、自分のレシピを弟子にあげないし、自分が料理教室で教えた以外のやりかたを自分の弟子としてはやってはいけない、という人がいる。

先生、何を恐れているんですか?と言いたい。
どんなに同じレシピを使っても、作る人が違えば、食材の選び方も違うし(産地、時期、天候によって、驚くほどその物じたいの味は違うし、それが持つ陰陽のエネルギーバランスも違う)、創る人の手から食に伝わるエネルギーも違うし、調理する時に使う水や、ちょっとした火加減やさじ加減でも、出来上がりは変わってくる。レシピをあげたからって、機械にインプットするわけじゃあるまいし、全く同じものは他人には作れないのだ。

それに、自分の教えを忠実にまもって機械のようにしか機能できない弟子なんてつまらない。
自分が創ってきたものを、弟子の一人一人の感性をもって発展させていくのをみるほうが、私はよっぽどかエキサイティングだと思うのだが。

音楽療法の世界も同じ。
「本物を知っている人は(今の日本の音楽療法界では)嫌われる」と言った人がいたけれど、
先生と呼ばれている人たちの中には、自分が知らないことを知っていたり、自分と同調しない人がいたら、怖いと感じるひともいるらしい。自分の地位を脅かされるとか、自分の考えを否定されるかもしれない、とでも思っているのか。

私も 先生 と呼ばれることがありますが、
私の事を先生、と呼ぶ人が、私の知らないことを知っていたら是非学びたいと思うし、違う考えをもっていたら、もっと話を聞かせて欲しいと思う。立場上 先生 と呼ばれてしまっているけれど、私の持っているものはほんのちっぽけなものなのだ。私が絶対正しいことなんて、ありえない。

(ちなみに、最初 先生 と呼ばれるのにとても違和感がありました。過去六年アメリカで先生という立場の人と ファーストネームで呼び合ってきたから)

日本は、異質なものを持ってそれをオウラートに包まずそのまま出す人は、出る杭 としてうたれる、排除される。
それよりは、何々研究室で、何とか先生に習いましたとか、何処どこ会社で会社に認められて昇進してきました、という方が、所属がなくても自分に自信がありますっていうよりは、よっぽど受容されやすい日本文化だし、クレディビリティーがあっていいとされる。

わたしは、裸になってなお素直に自分を提示できる人の方に魅力を感じるけれど。

自分の経験や知識には誇りを持つべきだ。どんなちっぽけなものでも、それが自分が信じて築き創りあげてきたものなのだから。自分の一部なのだから。
でも、守りにはいりたくなるのは、本当のこころ自分に自信がないからなのかも。
だれもあなたからあなたの本質は奪えないのに。

そんなに自分の成果を守っていては、先の発展が学びに限界をかんじないだろうか。
無駄と思われるような経験、自分より未経験と思える未熟な人からも、心をオープンにしていれば、沢山の事が吸収できる。例えば、いい音楽療法士になろうとおもったら、音楽療法の事ばっかり勉強しててもダメなのだ。いい親になろうと思って育児書読み漁っても狭い親になるだけ。ビジネスマンとして何かを成そうと思ったら、オフィスに長時間いたって、仕事仲間と毎晩飲みにいったって、ビジネス本読み漁ったって、無理なのだ。

これしかない、って守りにはいったら世界は閉ざされると思う。
「自分」のもつ可能性だけに固執せず、心をひろく、意識をオープンにすれば、自分はもっともっとひろがれる、次世代へ自分の道のりがつながっていく。
by totoatsuko | 2006-09-21 17:33 | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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