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アクセプタンス (Acceptance) III

アクセプタンス (Acceptance) III_d0065558_21491547.jpg生きていく上での前提が、属するグループにAcceptされていることだと、極力自分は白にちかくないと辛くなる。

でも、欧米社会のように「あなたの色は今何色なの?」と常に問われている人生を生きていたら、セラピーのプロセスで「何色でなくてもよい自分」というものを受け入れてもらえるセラピストとの関係や、その空間が本当に貴重になってくる。だから、Acceptance、という言場が欧米のhumanistic系の本にはよく出てくるのだ。

そうすると、今まで青色一本で生きてきた人が、実はもっと自分にしっくり来る色がくるんじゃないか、とか本当の自分を見つける過程で欧米社会では認めてもらえなあいまいな色、あるいは色のない状態であることも許容されるから、自分と向いあうために必要な余裕を持つことが出来る。

しかし、日本でそれをやってはAcceptanceではなくSpoli=あまやかし、になりかねず、ますます本人の持っている変化へのエネルギーがそぎとられてしまうだろう。ただでさえ色がないのに、あるいは有っても無いふりをするのがよしとされて生きてきたのだから。だから、日本で長年カウンセリング・セラピーをやっている人の仕事の仕方にはとても興味がある。

そんな矢先、ユング派のセラピストとして訓練を受けた日本人の方とお話する機会があって、またあのジムの受付で体験したような、超母性的おせっかいな言葉を何度か投げかけられたので、頭をひねってしまった。こういう転ばぬ先の杖的発想や接しかたが、日本のカウンセリングで効果的と認識されているのか、と。わたしは、その人が私とセッションをしていたわけではないのでそういう対応だっただけだと、信じたい。

でも、大の大人を相手に私がどう「感じているか」聞く前に私の気持ちを決めつけ(仮定し)、その先の(その人が考える理想的な)行動を私に示唆するというのは、どうなのかなぁ? それに、その人が自分の価値観で私を「無意識のうち」に計っていたら、なおさら問題だ。私 という個を Acceptしているのではなく、その人が属するグループの常識を「無意識」に私に当てはめようとしている訳だから・そんなんで私を分かったつもりになるなんて、ありえないことなのだ、プロとして。

深層心理を扱わない音楽療法士でも、カウンセラーでも、自分の無意識の動きに注意を払わないのが一番タチが悪い。単に受容がいいからって、母親的后母的包容力を乱用したら、クライアントを飲み込み、殺してしまいかねないし、自分自身も飲みこんだものにずるずる飲まれ、セラピストとして機能しなくなってしまうだろう。
by totoatsuko | 2006-09-11 17:54 | 日々感じたこと | Comments(0)
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


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