セラピストである前に

「セラピストであること、人間であること、どちらも自分だけど、こんなとき自分の人間らしさ、もろさに気づくことができました。」
を読んで、似たようなことを以前思ったのを思い出しました。
ニューヨーク大学院時代、いい音楽療法士になりたくて、一生懸命勉強したり、仕事を探したり、と自分のアイデンティティーの大半を音楽療法士である自分が占めているような気になっている時がありました。
だから、娘である自分とか、一人の女性であったり、一人の人間である自分の幸せは何なんだろう、と目を向ける余裕がなかった。一人前の音楽療法士になったら、自分は幸せになれる、と勘違いしていたと思う。
ある日、クラスメイトの女の子と話していて
「自分が仕事に忙しくて、子供にかまってあげられなかったせいでその子がグレて、友達の音楽療法士にリファーラル出す羽目になったら、笑えないよね。」「荒れた家庭の子供とセッションをして、信頼がどうとかセルフエスティーム(self-esteem)がとうとかって日々格闘している代償に、自分の子供とちゃんと関係を築けないなんて、冗談にもならないよね」 といってみんなで大笑いしました。かなりブラックジョーク。
別の日に、あるクラスメイトが
「音楽療法士である以前に、バランスのとれた人間でありたい」
と言ったのも心に残りました。
セラピストは、沢山ある自分の側面の一つに過ぎない。
弱くって当然、怒りを感じて当然、うろたえてしまうのも当然、間違ってしまうことも当然。
セラピストである以前に、人間の心をもった人であるからこそ、人間であるクライアントのロールモデルになれるし、クライアントの感情に共感できるし、一緒に歩んでいくことができるのだと思う。
by totoatsuko
| 2006-05-09 13:43
| 日々感じたこと
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