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Nymphea Reflection

Nymphea Reflection_d0065558_13405471.jpg今日はボストンシンフォニーを聴きに行った。

最初の演目は、2001年にフィンランド人のKaija Saariahoが49歳の時に作曲した、Nymphea Reflection。手元のパンフレットによると、パリで一時期コンピューター音楽を学び、それを極めた後、アコースティックに戻ってきた人です。


Nymphea は白い睡蓮、という意味なのですが、その意味を知らずに音を聞いていると、
バイオリンの細かく刻むバイブレーション、全体を通して聞こえてくる不協和音というコンセプトに収まらない生活の中で聞こえてくるおと。たとえば布ずれの音とか、空気が変わる瞬間の音とか。アコースティックの楽器がこんな音を出せるんだ、という驚き。

コンサートホールの椅子のなかで私が感じたのは、音としては、ハリウッド映画のサスペンスものの、怖いシーンが近づいている場面。反面、目から入る情報は、典型的なオーケストラ、楽器たち、黒い衣装に包まれた演奏家たち、歴史あるコンサートホール。このギャップが、私をとても不思議な気分にさせた。

何故なのだろう?
目と耳を研ぎ澄ませて"Here and now - 今この瞬間"を存分に感じつつ、考えがめぐる。

一つは、緊張感やRestlessness感を促す音が映画のように数分で終わるのではなく、永遠に6楽章続いている事に対する、私の心の居心地のわるさだろうか。しかも、映画音楽を連想する辺り、私の目は自動的に、音にあった映像を求めていたのかもしれない。しかし、見えるのは真剣に演奏する演奏家達だけ。

又、私のマインドがつたっていける、ある程度予測可能な旋律というのがなくて、何処にもいかない感に対する漫然とした感じもあった。確かに水面に写る睡蓮は、その環境によって色合いが変わるが、 何処にも行かない。

会場の雰囲気も、次に演奏されたベートーベンのピアノコンチェルト1番とは、随分異なった。
音楽が、観客を抱擁していない、のみこんでいない。
そう、映画を見ているのと同じ。あそこで起こっていることは、あっちの世界で、わたし達は、こちらの世界からそれを傍観している、という音楽との関係。

言ってみれば、まさに 水面に写る睡蓮を、岸から見ているような感覚だったといえるかもしれない。

それと比べて、私の場合、スタンダードクラッシックをきいている時は、その中に入っていける。例えば、ベートーベンの田園を聞いていると、例えば、田園を見ているのではなく、その田園を歩いて風や土の匂いを感じる事が出来る。あるいは、田園とは全く違う場所に、いるかもしれないが、要は、イメージを第三の創造物として捉えるのではなく、私のマインドは、ある程度できあがった枠組みの中で流れ、展開していくメロディーに、抵抗なく身を任せ、自分自身がイメージになってイメージを体験しやすい。

よく「何故GIMはクラシック音楽しか使わないのか?」と言われるのだけれど、クラシックしか使ってはいけない、という決まりはない。GIMでは、クライアントが言葉やしぐさで伝えてくる心の状態をよりよくイメージ体験の中でプロセスするために、適切な音楽が選ばれるのだが、今のところクラッシックの音がArchpyticalに受け止められやすい、というこれまでのGIMセラピストの経験上の示唆なのだ。私も経験から、同じように考えているのだけれど、その理由が今日少し分かったような気がする。
by totoatsuko | 2006-04-21 13:40 | 日々感じたこと | Comments(1)
Commented by kawazukiyoshi at 2006-04-23 11:33
素晴らしいですねー。
何度も書きますが、
「詩と音楽と数学は宇宙のハーモニー」
ワインを片手によい音楽に耳を傾けましょう。
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音楽療法士(GIM)のつれづれ


by totoatsuko
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