ふと思い出した
以前読み漁っていた椎名誠の作品の一つ、岳物語のくだり。
記憶によれば、、、野田さんが言う。
ガク(飼い犬の名前)が、川縁をあがったところで自由に走り回ってる時、まちがって釣り針を飲み込んでしまって、それで死んでしまったとしても、それは本望だと思うんです。綱に繋がれて安全だけど囲われた一生を生きるより、好きなところを駆け回って、好きなことをして、結果的に死ぬことになっても、それはいい人生だったと僕は思うんです。
というような内容のことを。
野田さんは、カヌーイストで、ガクと共にカヌーで15年間旅をした。休憩で川縁にあがったら、ガクは自由に遊んでる。
飼い主と飼われている犬、ではなく、パートナーのような関係だったと野田さんは言っている。
さっきグーグルしたらもうだいぶん前にガクは命をまっとうしていたようで、犬の寿命を考えればそれはもうあたりまえといえばあたりまえなのだけど、そうだったか、ガクは逝ってしまったのか、、、としんみりしてしまった。
当時、規則とか、地域や日本的なカルチャーの中でがんじがらめになってもがいていたような自分は、その野田さんの言葉にものすごく共感したし、もしかしたら、ガクと自分を重ねてみていたのかもしれない。
ガクは人の話を聞いてるようで2割くらいはきいてなくて、テキトーに聞き流してる能天気なところがありつつ
カヌーが濁流をいっていても逃げ出さず、最終的に野田さんと一緒にカヌーから川に放り出されても、野田さんの横をしっかりキープして泳いでたんだとか。
自分はパートナーの野田さんに信頼されてるんだ、ありのままの自分が愛されているんだ、
という絶対的な自信があるから、ガクがガクらしく生きれたんだと思うし、
そういうガクと一緒だったからできた体験、というのも野田さんにとっては宝。
いいよね、そういう関係、そういう生き様。
凄いことだと思う。
セラピストとしては、セッションに来る人にとって、この人は大丈夫だ、と思え、自分を取り戻す、自分らしく生きる道をみつけていくプロセスのパートナーであれるポジションにいたい、と思うのでした。