もう来週には死んでいるわ

ホスピスの患者さんや家族とどうやって深い繋がり、関係をつくるか、という話。
ある具体的なケースの話をしていた時、学生が手をあげました。
「さっきアツコは、その患者さんの部屋を出る時“じゃぁ、また来週来るわね” と言ったけど、もし患者さんが “きっと来週は私死んでいるわ” と言い返したらどうするの?」
学生の間にちょっとした緊張が走る。
「うーん、その場合私なら、“そう? でも念のために来てみるわ。生きているかもしれないじゃない。来週まであなたの事を思っているわ。”とにっこり笑って、温かい視線を向けて答えると思います。この患者さんは、あなたは「死」について話が出来る人かどうかテストしているかもしれないのです。」
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このやりとりの中で、「死」 という言葉は、学生達にとってタブーなんだな、と感じました。
死を目前にしている人と接している時、こちら側が持っている死に対する恐怖は何にも役に立たない。患者さんが、私達に内在する恐怖を察して、「死」について話すことをやめてしまうからだ。死をこれから経験しようとしている人にとって、「死」に対する考えや気持ちについて話すことは、とても大事なことなのに。
大事なのは彼女が来週死ぬかどうか、ではなくて、いまこの瞬間ある患者とセラピストの関係が、彼女にとってサポーティブであるかどうか。
私は「死」が、全ての終わりだとは思っていないので、冗談っぽく笑って言える。
“念のために来てみるわ。生きているかもしれないじゃない。”と。
そこには、“あなたが死んでしまっていたら、とても悲しいけど、でもSpiritualな部分で繋がっているのを知っているから、怖くない。それに、今まで目いっぱい生きている状態のあなたとの関係を大事にしてきたから悔いもないわ。”というメッセージが込められている。
そして、患者さんも、私が「死」について話すことを全く恐れていないことに気付く事ができる。
「死」が全ての終わりではないこと。
これは、教えられるものではなく、個人が感じるしかないと思うのだけれども、
少なくとも学生の間でこういうディスカッションが起こる、というのはいいなぁ、と思いました。
by totoatsuko
| 2006-02-24 14:29
| 日々感じたこと
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