
東京で飲食店内、路上での禁煙を条例化しようとした時、猛烈な反対にあったと聞く。
そんなことしたら、売り上げが落ちて、経営が傾くし、喫煙者の権利を無視してる。
喫煙者が融通をきかせたり我慢する必要はなく、
タバコを吸わない人は煙を避ければいいだけの話、
という理論や道理は今までのようにはまかり通らなくなっている。
それぐらい我慢すればいいじゃない
嫌ならその店に、その場に来なければいいだけ
健康に被害を及ぼすものを公共の場個々人が排出することに対する捉え方の違い。
セクハラ、パワハラ、ひいてはドメスティックバイオレンス
嫌な思いをしている方の嫌さ
それらから逃れることの難しさ
は当事者にも第三者にも軽く捉えられていることが多い。
Tully という今年公開された映画。
ざっくりいうと3人の子持ちのお母さんが、3人目を産んだ後、もう心も体もボロボロになって、でも色々あって、それで最後に夫婦仲良くハッピーエンド、というストーリー。すごい共感できそう、と思ってトレーラーを見ていたら、別サイトでサイコロジストが、これは明らかに産後鬱の深刻な状態で、それを専門家に相談もせず、何事もなかったかのように美しい話としてまとめてる時点で、この映画の存在意義は何なのか?と長い文章を書いていた。
この映画は、お母さんはやっぱり死ぬほど大変よね、という間違った現在の大多数の理解を助長している危険性が高い。ただ、この映画についてたくさんの議論が生まれているようなので、せめて、この議論が、母親たちには専門家のサポートが不可欠なのだ、ただ頑張ればいい、とか夫などが手伝えばいい、というレベルで済まない場合が多い、という理解に繋がることを祈っている、と書いている。
どんなに辛いか、は、所詮本人にしか分からない。
どれだけ辛いか人に説明することで、自ら自分にトラウマ体験を追体験させてしまうこともある。
適切な専門家に出会わないと、本当に必要なヘルプも受けることができない。
タバコを吸うことのリスクの理解と、タバコを吸わない人への意識は社会レベルで改善されているけれど
なかなか、今までこれでやってきたんだから何が問題なんだ? という思考に、いや、かなり問題なんです、変えないとすごく困るんです、というのを納得してもらうのは難しいなぁ、と改めて思っています。
ただ、嫌なものは嫌だし、体に良くないものは良くないし、それを人に強要したり、何かの交換条件にする権利や、我慢させる権利は誰にもないと思う。