「音楽療法」って?

そうでないと、“本物”の音楽療法に対して誤解が生まれてしまう。
私自身、ある病院の先生に
「(音楽療法を学んだ) 音楽療法士さんなんですか、素晴らしい!今度是非うちで音楽療法(ピアノコンサート)やってください。うちは、これでも地域で一番古くから音大卒業生を使って音楽療法を実践しているんですよ。」
と言われ、がっくりきた事がありました。
音楽コンサートは、それはそれで聴衆によい時間をもたらしているのだから、自信を持って音楽コンサートやってます!って宣伝すればいい。でも、それは音楽療法じゃない。
この話をビジネスマンの友人に話すと、
しょうがないよ、音楽療法、という言葉は一般用語なのだから、その言葉をどう使おうが、その人の勝手だと思うよ。演奏を聴いて、いい気持ちになることを療法、と言っているだけだよ、自分が認めるものしか音楽療法といって欲しくない、という考えは狭いと思うよ、
と言われた。
そう言われて、確かにそうだな、と思いました。
言葉をどう使おうが、人の勝手なのだから。
ビジネスの世界で言えば、例えば、コンサルティング、という言葉。
巷には、如何わしいコンサルティング会社が山とあるけれど、それに対して、ボストンコンサルティンググループやマッキンゼーだけが本物のコンサルティングで、他のものはコンサルティングというべきじゃない、と言っても話は始まらないのと同じ。
だから、いつしか戦略コンサルティング、経営コンサルティング、と自分達を差別化し、会社の固有名詞をブランド化することによって、特化してきたのだと思う。それによって、お客さんが、会社名を聞いただけで、大体どういう質のどういう内容のコンサルティングをその会社がやってくれるのか理解することが出来るようになった訳だから。

そう考えると、本当の音楽療法を知らない人たちが、なんでもかんでも音楽療法、と名づけているのに不満たらたらでいるだけではなく、
わたし達音楽療法士が、分析音楽療法(アナリティカル ミュージックセラピー・ガイデッドイマジェリー アンド ミュージック)、認知音楽療法、等の言葉を世間に紹介し、セラピスト個人の名前を売っていかなければならないと思う。
その結果、クライアントが、目的によって、音楽療法のアプローチを選べ、それを実践できるセラピストを選ぶ事が可能になってくるだろう。美しい音楽を聴きたいのなら、それが出来る人を選べばいいし、様々な角度から自分と向かい合いいたいのなら、それが専門の音楽療法士を選べばいい。
きっと、日本の世間の現状は、音楽療法=ヒーリングミュージック、歌を歌う会、音楽コンサート、あるいは何か怪しげなもの、と理解している人がほとんどで、深層心理まで扱う音楽療法の存在を知らないのではないだろうか。よって、ちゃんと音楽療法士としてのトレーニングを受けていない人にでも、ちょっと本を読んだだけで音楽療法が実践できる、と勘違いしてしまうのも、しょうがないのかもしれない。
音楽コンサートも、歌を歌う会も、ヒーリングミュージックCDも素晴らしい。
ただ、心のケアを必要としている人が、そのニーズに応える音楽療法があることを知り、利用できるようになるために、その存在を世間に紹介していく活動の必要性を強く感じたのでした。