Totality 〜 完全性を求めて

人は生きていることを通して様々な役割、立場、感情を内包し、その場その場で無意識に使い分けています。
例えば仕事をしている時、親のとての自分の感覚よりも、仕事をしている自分の感覚で物を言い考えていると思いますが
だからといって、親という役割をしている自分が完全に自分から消えることはありません。
なんらかのきっかけで、ふと、”自分の子供の親”という経験や感覚をしたことがなければ考えないような思考や感情が自分の心や外見の表層にひょこっと現れる、
という感じの、異なる自分の側面が同時に生じるのは誰しも経験したことがあると思います。
individuation process が深まると
仕事の自分、親である自分、というわかりやすい側面だけでなく
気づいていない側面
見ないようにしている側面
自分から無意識に排除している部分、
欠けたことにしている部分を
自分の一部として迎えいれ統合していくプロセスが起こり
それが 完全性への探求、と言えます。
わざと自分を欠けさせて(自分はこんなに弱い、出来ない)
そこをセールスポイントにして、そこを埋めてくれる要素を持っている人に心理的に依存したり寄生すると、
共依存 という 健康的でない行動が繰り返されます。
そんなことをセールスポイントにしなくても信頼関係を築いたり、恋愛や、夫婦関係を築く事はできるはずなのですが、
自分で何でもできるなら誰も必要なくなってしまうし、誰も寄ってきてくれないはず、
と自分が成長し完全性に近づく、丸い形になることを否定的に感じたりもします。
自分をよりよく知ること
完全な形に少しでも近づくこと
丸い形になることで不都合になることはないのですが
(大丈夫、心の宇宙は深くて果てしないので、完全に全てを把握し、丸い自分になるのは現実不可能です)
そうなってしまったら自分のエッジが失われる
そうなったら自分の価値が下がる
誰も好きになってくれない
と考えて、totality や individuation のプロセスを 自分には必要がない、と
否定したり、攻撃したり、避けるたくなることが多いようです。
例えば、赤ちゃんのように何もできないから、お母さんが全てやってくれる、それが人との関わり方で
それが心地いい関係、だと大人が思っているようなもの。
もう自分は赤ちゃんではないし、赤ちゃんではない自分が、ママと赤ちゃんの関係を他の大人や子供と無理に再現しようとするために
自分の本当の能力を見ないようにし、赤ちゃんのように振る舞う、
そして赤ちゃんのように依存してくる、ある意味自分がいないとどうしようもない、と思わせてくれる自分を ”必要としている” 人とマッチングする。
本当は必要となんかされてないし、誰かのママになることなんかできないのに。
お互い、それぞれの本当の姿を 都合悪いものは 都合よく見ないようにして その雛形に当てはめて関係を成立させる。
でも、関係が長くなると、ほころびが 現実が 耐えられなくなってくる。
自分を知り、自分が持っている全ての要素がのびのびと自分を自分で肯定できるようになる、ということは
もっと大きく自由な自分の感覚と他者との関わりが広がっていくことにつながるのです。
by totoatsuko
| 2017-04-18 14:43
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